N.Y. State of Mind

The World Is Yours

Life's A Bitch (feat. AZ & Olu Dara)

It Ain't Hard to Tell

Halftime

If I Ruled The World (Imagine That) (feat. Lauryn Hill)

Represent

Memory Lane (Sittin' in da Park)

The Message

One Love (feat. Q-Tip)

Nas Is Like

The Genesis

One Time 4 Your Mind

Adam and Eve

Get Down

Cops Shot The Kid

Street Dreams

Affirmative Action

Hate Me Now (feat. Puff Daddy)

Take It in Blood

I Gave You Power

Everything

Purple

I Can

Made You Look

White Label

Got Ur Self A...

One Mic

Not For Radio

Simple Things

Watch Dem Niggas

Bonjour

Shootouts

The Set Up

Cherry Wine

Nas

13 rooms
ナズ(Nas、本名:Nasir bin Olu Dara Jones、1973年9月14日 - )は、アメリカ合衆国のヒップホップMC・作詞家・音楽プロデューサー・俳優である。ナスと表記されることもある。妻はR&B歌手のケリス (現在は離婚)。■概要中学校を中退しているにも関わらず、高度な文章力を持っており、リリックの深さを評される。1994年に発表されたデビューアルバム『イルマティック』は極めて賞賛されており、クラシック(時代を選ばず、誰もが名作と呼べる作品)と称されている。麻薬の売買やギャングスタの生活を題材としたギャングスタ・ラップから、ゲットーの現実や、そこから抜け出そうというポジティブなメッセージ、世界情勢などを題材にしたコンシャス・ラップまで、幅広いを内容のリリックをラップするMCである。曲の中に銃声や、汚い言葉が多いため、ペアレンタル・アドバイザリー指定になっているCDも多く、また、物議を醸す発言や行動も多い。■経歴ニューヨーク市のブルックリン区に生まれ、クイーンズ区の南西部、ロング・アイランド・シティ地区に位置するクイーンズブリッジ団地で育つ。父はジャズ・ミュージシャンのオル・ダラ(Olu Dara)。弟もヒップホップMCであり、ブレイヴハーツ(Bravehearts)というヒップホップ・ユニットで、ジャングルという芸名で活動している。また、1994年頃に生まれた娘、ディスティニー(Destiny)がいる。この子はNANAと呼ばれていて、彼の作品の歌詞で時折出てくる。彼女は5枚目のアルバム『スティルマティック』のエグゼクティブ・プロデューサーとなっていて、『ストリーツ・ディサイプル』(2004年)では彼女に捧げた曲が収録されている。ナスは学校を8年生で退学し、そのころからドラッグの売人となる。退学をしてもナスは勉強を続け、クルアーンや聖書、5%ネイションの教書を熟読する。幼いころのナスは、漫画家になるか、父のように楽器奏者になろうと思っていたが、ヒップホップに親しんでラップも早い時期から始めていた。ナスのラップがレコード上に登場したのは1991年、ヒップホップグループ、メイン・ソース(Main Source)の曲、「ライヴ・アト・ザ・BBQ」においてである。この時の第一声が"street's disciple"であった。16歳にしてすでに枯れて趣のある声、ラキムに影響を受けたフロウと詩性を感じさせる歌詞が話題となる。その後サード・ベースへの客演などを経てファースト・アルバム『イルマティック』をリリース。当代随一のリリシストであるナスのラップに加えて、ラージ・プロフェッサー(Large Professor)、ピート・ロック、DJ・プレミア、Qティップ(Q-Tip)ら当時のニューヨークのトップ・プロデューサーがこぞって参加した本作は多くのヒップホップ雑誌から高い評価を受けた。また、本作自体はセールス面で振るわなかった(2年間で50万枚)が、当時のいわゆる「西高東低」の(東海岸ラッパーよりも西海岸ラッパーのほうが人気があった)情勢に一矢を報い、同郷クイーンズのラッパー達(同世代のモブ・ディープ、1世代上のトラジェディなど)が人気を得るための布石となった。この作品には実父オル・ダラも参加している。その後1996年にはトラックマスターズ(Trackmasters Entertainment)、ドクター・ドレーらを製作陣に新たに迎え、前作と比べR&Bテイストも増した2ndアルバム、『イット・ワズ・リトゥン』をリリース、全米チャート初登場1位を記録し、瞬く間に300万枚を売り上げることとなるが、コアなリスナーからは至って不評で本人も後に失敗だったと述懐している。このアルバムは2パックがマキャヴェリとして出した生前の最終作品でディスされている。また、この年には、自身が師として尊崇していたクール・G・ラップ(Kool G Rap)のソロ名義でのファーストアルバム『4 5 6』収録から先行カットされた「Fast Life」でコラボレートが実現している。この曲はサーフィスの「Happy」をサンプリングしていてヒットしている。その後1997年には、『イット・ワズ・リトゥン』で初共演となったドクター・ドレーがメインプロデューサーとなるザ・ファーム(The Firm)をAZ、フォクシー・ブラウン、コーメガらと結成し、『ザ・ファーム:ザ・アルバム』をリリースするが、大ヒットとはならず。また、メンバー内でもいざこざが起きて(特にナズとコーメガの対立が酷く、コーメガは結成後程なくして脱退。後釜としてナズが連れてきたネイチャーが加入したが、彼も後年ナズと対立している)自然消滅となった。コーメガとはその後もお互いにディストラックを発表し非難の応酬を続ける険悪な仲になったが、その後2005年に和解。以降はナズのライブにフォクシー・ブラウンと共に飛び入り参加するなど2009年現在では以前より友好的な関係となっている。