SUMMER SUSPICION

SEXY HALATION

DEAR BREEZE

ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER

君のハートはマリンブルー

TRANSIT IN SUMMER

RIVER'S ISLAND

ROUTE 134

MIDNIGHT DOWN TOWN

Misty Night Cruising

TRADE WIND

ガラスのPALM TREE

ASPHALT LADY

RIVERSIDE HOTEL

LIGHT MORNING

THE END OF THE RIVER

REMEMBER THE BRIGHTNESS

PADDLING TO YOU

FUTARI NO NATSU MONOGATARI NEVER ENDING SUMMER

Twilight Bay City

FIRST FINALE

BECAUSE

夕凪通信

二度目のイヴ

SCRAMBLE CROSS

Rolling Memories

Joanna

君はIN THE RAIN

杉山清貴&オメガトライブ

13 rooms
オメガトライブは、主に1980年代に日本で活躍したJAPANESE AORの草分けで、プロデューサー藤田浩一の指揮のもと、作曲家林哲司並びに和泉常寛、アレンジャー新川博などの制作陣を中心としたプロジェクトの総称(計3回)。ボーカルは杉山清貴、カルロス・トシキ、新井正人と変遷。夏・海・リゾートをテーマとした作品の数々は『サザンオールスターズ』や『TUBE』などとともにサマーソングのヒット曲として知られる。藤田浩一は、80年代に角松敏生や、オメガトライブ、菊池桃子を擁していたトライアングル・プロダクションのオーナーであり、彼のタッチする作業は作詞家や作曲家、アレンジャーとのプリプロダクションからレコーディング・スタジオでのミュージシャンへの指示、エンジニアへの注文、レコード・ジャケットの決定からマーケット戦略まで多岐に渡っており、全ての最終決定権は彼にあった。名称の名づけ親はDJのカマサミ・コング。メンバーは候補に挙がっていた中の「タイクス」という名前を気に入っていたが、藤田が「オメガトライブ」に決めたという。「オメガトライブ」とは、「オメガ」=ギリシャ文字で一番際に表記される文字で「最後」という意味と、「トライブ」=民族という意味を合わせて、「最終民族」という意味がある。杉山清貴&オメガトライブメンバー杉山清貴(ボーカル) 高島信二(ギター) 大島孝夫(ベース) 西原俊次(キーボード) 廣石恵一(ドラムス、現クレイジーケンバンド) 吉田健二(ギター、1985年に脱退、現XANADU PROMINENCE ROCK ORCHESTRA) 1980年に前身バンド「きゅうてぃぱんちょす」にて第19回ヤマハ・ポプコンに入賞。 1983年、プロデューサー藤田浩一の第1弾プロジェクト、『杉山清貴&オメガトライブ』として、レコードデビュー。 尚、「オメガトライブ」という名前は、「バンド名の候補でも、一番下にあった名前」であった(この事は、後に杉山自身が公言している)。 1985年12月、プロデューサーとメンバーとの方向性の違いにより、横浜文化体育館のライブを最後に解散。 2004年2月、杉山の呼びかけにより、杉山清貴&オメガトライブを再結成(前座:きゅうてぃぱんちょす)し、2月11日「NHKホール」、2月14日「愛知厚生年金会館」、2月15日「大阪厚生年金会館」において、『First Finale2 ~オメガとライブ~』と言う、コンサートを行なった。 杉山清貴&オメガトライブ最大のヒットとなった『ふたりの夏物語』は楽曲を提供をした林哲司によると、林があらゆるアーティストの楽曲の制作などの作業に追われていた当時、オメガトライブのJALのTV-CMのタイアップが決まり、1日でも早く仕上なければ行けない状況になり、関係者から「Only You~君にささやくふたりの夏物語」という一節だけがキャッチコピーとして渡され、作詞の康珍化とともに即楽曲の制作に入り、わずか1日で書き上げ、すぐに楽曲のレコーディングの作業に入った。当時全国ツアー中だった杉山らメンバーをツアーの合間を縫って帰京させ、わずか計3日間で曲を完成させたという。林は「わずか3日間で仕上た曲がオメガの最大のヒットになっちゃったんだから分からないもんだね」と自らのHPの中で語っている。 代表曲は、『サマー・サスピション』『アスファルト・レディ』『ふたりの夏物語-Never Ending Summer-』『君のハートはマリンブルー』『サイレンスがいっぱい』など。主な制作陣プロデューサー:藤田浩一(元アウト・キャストのギタリスト、トライアングルプロダクションのオーナー) 作曲家:林哲司 作詞家:康珍化