Johnny Thunders
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You Can't Put Your Arms Round a Memory
You Can't Put Your Arms Around a Memory
Pipeline
Great Big Kiss
London Boys
Leave Me Alone
(She's So) Untouchable
Ask Me No Questions
So Alone
Daddy Rollin' Stone
Born to Lose
Subway Train
Chinese Rocks
Dead or Alive
Downtown
Hurtin'
The Wizard
I'm a Boy I'm a Girl
Eve of Destruction
Diary of a Lover
Lonely Planet Boy
I Only Wrote This Song for You
Personality Crisis
In cold blood
Too Much Junkie Business
Blame It on Mom
Play With Fire
Can't Seem to Make You Mine
Hurt Me
Joey Joey
She's So Untouchable
I Can Tell
Que Sera, Sera (Whatever Will Be Will Be)
Sad Vacation
M.I.A.
Get Off the Phone
It's Not Enough
Too Much Too Soon
I'd Rather Be With the Boys
Mia
As Tears Go By
Society Makes Me Sad
I'd Much Rather Be With The Boys
Little Bit of Whore
Johnny Thunders
13 rooms
詳細
ニューヨーク・ドールズ1971年、デヴィッド・ヨハンセン(ヴォーカル)等と共にニューヨーク・ドールズを結成。ジョニーはリード・ギターを務めた。1972年には、激しいライヴや中性的なファッションが注目を集め、ルー・リードやデヴィッド・ボウイからも絶賛される。1973年、デビュー・アルバム『ニューヨーク・ドールズ』発表。プロデューサーはトッド・ラングレン。1974年、2作目の『悪徳のジャングル』発表。後期ニューヨーク・ドールズのマネージャーは、後にセックス・ピストルズをデビューさせたマルコム・マクラーレンであった。1975年夏、ジョニーとジェリー・ノーラン(ドラム)はニューヨーク・ドールズを脱退。このときピストルズ結成を準備していたマクラーレンからロンドンに来るよう誘われたが、断っている。ハートブレイカーズジョニーとジェリーは、元テレヴィジョンのリチャード・ヘル(ベース)やウォルター・ルー(ギター)と共にジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ(ザ・ハートブレイカーズ)を結成。ここでジョニーはリード・ヴォーカルも兼任する。間もなくリチャードが脱退し、ビリー・ラスを後任に迎える。バンドはロンドンに渡り、1977年に唯一のオリジナル・アルバム『L.A.M.F.』を発表。ピストルズと連れ立ってツアーも行っている。ソロ活動ハートブレイカーズ解散後、ジョニーはロンドンに留まり、1978年にソロ・デビュー作『ソー・アローン』を発表。元セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズとポール・クック、シン・リジィのフィル・ライノット、元スモール・フェイセス~ハンブル・パイのスティーヴ・マリオット、プリテンダーズのクリッシー・ハインド等、豪華ゲストが大挙参加した。1985年に初来日公演を行う。1991年4月の来日公演後、4月23日、ニューオーリンズのホテルで、薬物とアルコールの過剰摂取により亡くなる。38歳。名前の由来ザ・キンクスのコンセプトアルバムである、『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ』に出てくるバイク乗りが由来といわれる。使用ギターニューヨーク・ドールズ時代から主にギブソン・レスポール・ジュニア・ダブルカッタウェイ(TVモデル)を使用。 オベーションのエレアコやギブソン・レスポール・スタンダードなども使用していた。ディスコグラフィーハートブレイカーズL.A.M.F.(1977年)L.A.M.F.Revisited(1984年) - バンド解散後の1984年に、サンダースが上記作品を自らリミックス・再編集、ジャケット・デザイン等も一新して発売した。ソロ時代 So Alone(1978年)In Cold Blood(1983年)Hurt Me(1984年)- アコースティック・ギター弾き語り作品Que Sera, Sera(1985年)Hurt Me More(1991年)- 死の直前に行われた来日公演のライヴ盤ジョニー・サンダース信奉者 ジョニーを崇拝するロック・ミュージシャンは実に多い。元ザ・スミスのモリッシーは、無名時代に『The New York Dolls』という小冊子を自費出版したほどのマニアである。『ソー・アローン』収録のバラード「ユー・キャント・プット・ユア・アームズ・アラウンド・ア・メモリー」は、マイケル・モンローやガンズ・アンド・ローゼズにカヴァーされた。日本でも人気が高く、ZIGGYの『HOT LIPS』やRCサクセションの『COVERS』で、ゲスト・プレイヤーとして招かれた。(Wikipedia参照)