You'll Cowards Don't Even Smoke Crack

Living for the Night

Hey, Maybe One Day You'll See Me Again(5:30)

You Wanna See Me Dead Cause Of My Hops (5:19)

A Cry from the Edge

I Sell Dope Boy

To Live Again

That There's A Stash Spot

I'm That S-West Blood

I Ball For Gunshots

Hey, Maybe One Day You'll See Me Again

At Least a Chance

This Is How I Ball

Clip In

Merciless

Moonlight

My Car Run On Coke

Theatre of Fate

Still

Think About It

Parlayin'

I Like The Way

It's On

Ball

Prelude to Oblivion

Knights of Destruction

Feel

Illusions

Death Time

That Baller Out Your Best Side

Hey, Maybe One Day You'll See Me Again - Futuristic Spae Age Remix

Parlay All Day

Handled Up

I'm Rich Already 4 Life

Can It

This Is How We Ride

Ride or Die

Homicide

Rebel Maniac

Viper

13 rooms
ヴァイパー(Viper)は、ブラジルのヘヴィメタル・バンド。後にアングラ等で活動するアンドレ・マトスが、かつて在籍していた。1985年にサンパウロで結成。デモ・テープ『The Killera Sword』が評判となり、1987年にはデビュー・アルバム『Soldiers of Sunrise』発表。その後、ドラマーがカシオ・アウディからグィルヘルム・マーティンに交替し、セカンド・アルバム『Theatre of Fate』(1989年)発表。同作収録曲「Moonlight」は、ボーカルのアンドレ・マトスが初めて単独で作詞・作曲した楽曲で、ベートーヴェンの「月光」をモチーフとしている。1991年7月には、『Theatre of Fate』は日本でもビクター音楽産業から発売されるが、アンドレ・マトスは既に脱退しており、バンドは新しいボーカリストを加えず、ピット・パシャレルがリード・ボーカルも兼任する形で活動を継続。ドラマーの交替(レナート・グラッシアの加入)を経て、1992年には、4人編成時としては初のアルバム『Evolution』を発表。1993年4月には初の日本公演を行い、その模様はライヴ・アルバム『Maniacs in Japan』として発表された。1995年のアルバム『Coma Rage』では、パンク・ロックの要素を取り入れた音楽性に路線変更し、続く『Tem Pra Todo Mundo』(1996年)ではポルトガル語の歌詞も取り入れるが、同作を最後にバンドとしての活動を停止。2001年になると活動再開するが、ほどなくイヴ・パシャレルが脱退し、後任としてヴァル・サントスが加入。2004年にはリード・ボーカリストとしてリカルド・ボッシが加入して、バンドは再び5人編成となり、2007年には11年ぶりのスタジオ・アルバム『All My Life』発表。同作には、オリジナル・メンバーのアンドレ・マトスとイヴ・パシャレルもゲスト参加。その後ヴァル・サントスが脱退し、ツアーにはマルセル・メロが参加した。