Killin' the Vibe

Hamilton Road

Map to the Stars

Ivy Covered House

Under Cover

Light a Candle

In The Swing

The Disney Afternoon

The Rising Sun

Sedan Magic

Wearing a Mask

Timothy Shy

Lover

Solitary Star

Answered in a Prayer

Little Window

Mannequin

Sprinter

Art Vandelay

Don't Make Plans

Deal With It

Arcade Shift

International Date Line

The Razor's Edge

In the Hallway

Watercolors

St. Catherine

Keeper of the Garden

Blue Light

Shattered Mirror Travel

Sunset Liner (for e. young)

Academy Avenue

The Ocean Floor

Ducktails

13 rooms
唄心のあるリヴァーブ・ポップとゆるゆるしたギター・アンビエントでUSシーン最大のローファイ・コロニー〈ウッディスト〉を代表するバンドとなったリアル・エステイトのギタリスト、マシュー・モンダニルのソロ・プロジェクトがダックテイルズだ。リアル・エステイトは先日ウッズとともに来日公演も果たし、両者の日本での人気ぶりから推しはかるにこんな説明は不要かもしれない。だが、なぜリアル・エステイトやダックテイルズが支持されるのかということについてはもう少し注意を払う必要があると感じる。リアル・エステイトやダックテイルズを聴くということは、モンダニルのあのとろみのあるギターを聴くということだ。いや、「聴く」というよりはそれに「浸かる」「浴する」と表現したい。初めて耳にしたときから、筆者はあの音と「温浴」のイメージとを切り離すことができない。「ヒプナゴジック・ポップ(入眠ポップ)」という、なかば揶揄を含んだ形容もわからなくはない。しかしただ眠りに就くというよりは、温浴のように、治癒とかデトックスといったフィジカルな効能を想像してしまう。岩盤浴で身体の芯から温まってさらさらの汗が大量に出る、とか、ゲルマニウム温浴で体内の老廃物を排泄する、といったイメージがあの穏やかな熱と光源を持った音から湧いてこないだろうか? 曲の骨だけを取り出せば変哲のないゆかしきアメリカーナである。これを当世風に仕立てているのが彼のサウンドのとろみに他ならない。リヴァーブでもフィードバック・ノイズでも、昨今のインディ音楽はクリアさを嫌う傾向が基調となっている。ドリーミーだったりシットだったり、音の濁り方はアーティストによってさまざまだが、ダックテイルズの場合は養分がたっぷりと溶かし込まれているようなとろみがついている。色でいえばはちみつ色のギター・サウンド。そして少ない展開のなかに、短く印象的な旋律が押し込まれる。わずかなフレーズの繰り返しやアルペジオによって、ゆるくスウィングするようにリズムが形成される。心地よいことこの上ない。USのインディ・ポップの伝統を高度に消化しているにも関わらず、なんとなく、これは音楽ではないんじゃないか、音楽ではなくて効果なのじゃないかと思えてくる。 インディ・シーンにおいて大きな信頼と支持を得ているアーティストのうち、少なからぬものが音楽の意味性にではなく機能性にフォーカスしているように見えるのは興味深いことである。〈ウッディスト〉周辺は、おおむねそうだ。チルウェイヴ/グローファイ批判なども、じつはその逃避的傾向以上に、音楽が気持ちよさや心地よさに支配されてしまってよいのだろうかという年長世代からの危惧が反映されているのではないか。個人的にはそれもよく理解できる。早晩このグローファイ・バブルも弾けるだろう。しかし、その後に意味性への揺り戻しが来るのかといえばそれも安直な想像である。〈ウッディスト〉たちが未来に何を残すのかしかと見届けたい。