恋の奴隷

終着駅

奥村チヨ

13 rooms
夙川学院高等学校在学中、知人が応募したオーディションに合格してしまい、1回きりの約束でドリンク剤のCMソング(小野薬品・リキ・ホルモ「昨日、今日、明日」)を歌ったことがきっかけで、卒業後の1965年に東芝から「あなたがいなくても / 私を愛して」でデビュー。和製シルヴィ・ヴァルタンとして売り出され、小悪魔的な魅力と甘えたような歌い方でたちまち人気を集める。黛ジュン・小川知子とともに東芝3人娘の一角を占め、「ごめんネ・・・ジロー」(1965年)「北国の青い空」(1967年)などがヒット。さらに1969年~1970年に発表した「恋の奴隷」(100万枚突破)「恋狂い」「恋泥棒」のいわゆる「恋3部作」の爆発的大ヒットにより、人気歌手としての地位を確立した。それまでのコケティッシュな雰囲気に、新たに官能的な魅力も加わり、初めてNHK紅白歌合戦出場も果たす(NHKでは内部規則で「恋の奴隷」の歌唱が禁じられていたため「恋泥棒」を歌った)。1971年12月25日に発売された、自身のイメージを脱却した「終着駅」が大ヒット。この曲は、本人の歌手引退も辞さない強い希望で実現に至った曲である。この曲を作曲した浜圭介も、この曲のヒットにより、作曲家として息を吹き返した。その後、1974年に浜圭介と結婚、芸能界の第一線を退く。その後1980年にビクターから、「せめてさよならは・・・」をリリースして歌手活動を再開。ディナーショーなどステージを中心に、マイペースな活動を続ける。1993年、折からの1960年代ブームに乗って「恋の奴隷」が再ヒット。個性的な歌唱スタイルとともに、時代を先取りしたようなファッションにも注目が集まり、若い世代のファンも数多く獲得した。現在も旺盛な歌手活動を続けており、古巣東芝EMIからも新譜・旧作が続々とリリースされている(『GOLDEN☆BEST 奥村チヨ』など)。なお1971年に発売された「川の流れのように」は、後に美空ひばりが歌った楽曲とは同名異曲。女優の麻生祐未は姪で、麻生の元夫は俳優の永澤俊矢。なお2008年3月7日にTBSで放送された「売れなきゃよかった…金曜日の告白SP!大壮絶人生」によると、代表曲「恋の奴隷」が、男性に従属的な歌詞であったため、奥村自身は歌うのを嫌っていたという。また、この歌のイメージにより、当時、自宅周辺にストーカーが多数、出没したという。