If the Kids Are United

Borstal Breakout

Hurry Up Harry

Hersham Boys

Angels With Dirty Faces

Hey Little Rich Boy

That's Life

Sunday Morning Nightmare

Who Gives a Damn

Leave Me Alone

Questions and Answers

Tell Us the Truth

I Don't Wanna

The Cockney Kids Are Innocent

What Have We Got

Rip Off

Everybody's Right, Everybody's Wrong

Tell the Children

Family Life

The Game

Evil Way

We Gotta Fight

Millwall Boys

Unite and Win

Money

White Riot

Give a Dog a Bone

They Don't Understand

Voices

Human Zoo

No Entry

Win or Lose

Is This Me or Is This You

Run Wild Run Free

In and Out

Dead or Alive

Reggae Pick Up, Pt. 1

You're a Better Man Than I

Ulster

Ban the Gun

Give Me A Minute

Sham 69

13 rooms
シャム69(Sham 69・シャムシックスティーナイン)は、イギリスサリー州ハーシャムで1976年に結成されたパンク・ロックバンドである。1969年、サリー州のサッカークラブであるウォルトン・アンド・ハーシャムFCが地域リーグを制覇。その際、サポーターの一人がサッカー場の壁に、優勝を記念すべく「Walton & Hersham 69」の落書きを残した。数年後、地元の青年ジミー・パーシー Jimmy Pursey がその落書きに目を留める。字は時を経て消えかかっており、「sham 69」の部分だけが残っていた。パーシーはこれを自らのバンド名に使用する。シャム69とフットボール・カルチャーは後年切っても切れない関係となるが、このエピソードはそれを象徴するものとして頻繁に引き合いに出されるようになる。1977年、パーシー(ヴォーカル)、デイヴ・パーソンズ Dave Parsons (ギター)、アルビー・マスケル Albie Maskell (ベース)、マーク・ケイン Mark Cain(ドラムス)の陣容で、初シングル『I Don't Wanna』をインディー・レーベルのステップ・フォワードより発表。プロデュースはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイル。マスケルがデイヴ・トレガンナ Dave Treganna に交代し、翌1978年1月、シングル『ボスタル・ブレイクアウト Borstal Breakout』で英ポリドール・レコードよりメジャー・デビューを果たす。サッカーの応援歌にも似た、観客が一緒に歌いやすい曲調は「シンガロング・スタイル」と呼ばれ(後のOi!パンクの源流とされる)、レコードセールスの上では好成績を残し続けたが、ライヴはパンクスやスキンヘッドたちの喧嘩の場と化すようになり、活動に支障をきたすようになる。1978年のレディング・フェスティバルでは、『If the Kids Are United』を歌ってキッズたちの連帯を訴えても一向に喧嘩が収まらない状況にパーシーが絶望し、ステージ上で涙を流したと伝えられる(パーシーは一貫してこれを否定)。1979年にシャム69は活動を停止。パーシーはスティーヴ・ジョーンズ、ポール・クックと『シャム・ピストルズ』結成へと動くが、頓挫。シャム69の活動に戻る。1980年のアルバム『The Game』(ドラムスはリック・ゴールドスタイン Rick Goldstein に交代)発表後に解散した。パーシーはソロ活動へ移り、元ジェネシスのピーター・ガブリエルらと共作を残したほか、エンジェリック・アップスターツなどのプロデュースを行った。トレガンナは元デッド・ボーイズのスティーヴ・ベイター、元ダムド~ヘリオンのブライアン・ジェイムスらとローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチを結成した。1988年、パーシーとパーソンズが再合流、シャム69が再結成される。この二人以外のメンバーは流動的で、実態としてはバンドではなくプロジェクトであった。初期の荒々しい音楽性は影を潜め、ラップなども取り入れた多彩な音楽性を提示した。だが、初期の代表曲の再録だけのアルバムを発表したり、前のアルバムに収められた曲を次のアルバムにも収録するといった手法が、ファンや音楽メディアから批判の対象となることもあった。1990年には来日公演も実現している。2005年、パーシーがジョン・ライドンと殴り合いの喧嘩をしたと報じられる。2006年、初期シングル『Hurry Up Harry』が2006 FIFAワールドカップのイングランド応援歌『Hurry Up England』の元曲として採用され、注目を集めたが、その矢先にパーシーが脱退。デイ21(Day 21、かつてシャム69がライヴで用いた変名)に移る。現在シャム69はパーソンズのプロジェクトとして存在している。