私は人間じゃないから。

デッドボールP

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デッドボールP(デッドボールピー、DEADBALL P、2月23日 - )は、日本のミュージシャン。略称はデP。音系同人サークル「5/4TAKEPOD」を主宰しており槇タケポンという名義も使用する。A型。解説音楽は、ピアノを子どもの頃から行い、中学1年生のときに父親が買ったヤマハのミュージックシーケンサーQY70に触れたことをきっかけにDTMをはじめ、自作のMIDIをウェブサイトで発表するようになる。MIDIのウェブサイトでの活動を中学3年ごろまで続けた後、高校1年の頃にゲーム『Kanon』にはまったことをきっかけに同人音楽での活動を始める。同人音楽での活動を続けながら、高校、大学ではバンド活動も行った。大学時代に所属したバンドサークルは2年生のときに辞めたものの、その後自作の曲を聞いた友人からプロになれるのではと言われたことから、音楽のプロを志すようになり、ゲーム音楽が好きだったことからゲーム会社に応募、大学3年の頃から日本ファルコムでサウンドクリエイターとして活動を行った。日本ファルコムには2005年から2007年にかけて在籍していた。2007年9月、友人にすすめられて動画投稿サイトニコニコ動画を見始め、そこで見た音声合成ソフト初音ミクの流行現象に惹かれ、初音ミクを購入し、自作の曲をニコニコ動画で発表するようになる。こうした社外活動が禁止されていたため、会社は辞めることとなる。初音ミクを使うようになる以前はインスト曲を中心に作っていたと言い、初音ミクを使うようになってからは「歌として成立するメロディ」を意識して作るようになり、歌詞の重要性をある程度理解できたとしている。デッドボールPは曲のメロディラインやアレンジに対する評価のみならずわいせつな内容の歌詞でも話題を呼んでおり、デッドボールPという名前についても、そうした内容の歌に対し「直球というよりデッドボール」というコメントを書き込まれたことが由来となっている。2008年1月17日にはニコニコ動画に投稿されていた「私は人間じゃないから。」、「既成事実」などの楽曲の動画が、公序良俗に反する歌詞を含むことによるVOCALOIDソフト使用許諾契約の違反として初音ミク販売元のクリプトン・フューチャー・メディアの要請によりニコニコ動画から削除されるに至っている。この一件は歌う音源としての初音ミクのあり方に対しての議論が活発化するきっかけにもなった。なお、このとき削除された楽曲については後に修正版を再投稿している。2009年5月には動画投稿サイトで発表した楽曲を収録したアルバム『EXIT TUNES PRESENTS THE VERY BEST OF デッドボールP loves 初音ミク』をリリース、このアルバムでは過激な歌詞で話題を呼んだ楽曲の無修正での収録が実現している。ニコニコ動画での楽曲発表の他に、ライブイベント活動なども精力的に行っており、2009年8月31日に初音ミク発売2周年を記念して行われた「ミクフェス '09(夏)」では初音ミクで作成した曲をバックにパンツ一枚で裸踊りを見せるというステージパフォーマンスで大きな反響を呼んだ。2011年4月9日には、4月9日を「死球の日」と称し、ライブイベント「デPフェス!」を自らの主催で開催した。楽曲の権利デッドボールPは商業デビュー後もしばらくは、日本音楽著作権協会(JASRAC)等の著作権管理事業者への楽曲の信託を行っていなかった。これは、デッドボールPだけでなく、VOCALOIDを用いた曲のジャンル全体の状況によるもので、インターネットでの曲の自由な利用で人気が広まることによって流行が成り立った事情から、そういった自由な利用を妨げる恐れのある管理事業者への信託という行為に対しジャンル全体として拒否感があったこと、金儲けそのものを嫌う風土があったこと等が影響していた。しかし、そのためこのジャンルでは、発表した曲がカラオケで流行しても、カラオケ店がらの利用料の徴収がJASRAC以外には出来ないことから、作詞作曲者が著作権収入を得られないという状態が続いていた。そうした中、デッドボールPは、2010年の夏に行われた著作権信託の仕組みなどを解説するインターネット生放送にJASRACの理事長らとともに出演、この放送はJASRACへの不信感の強かったジャンルの流れを変え、楽曲の利用形態ごとの「支分権」に分けてJASRACへ信託する部分信託の仕組みの導入に道を開いたとされる。音楽出版社を通して曲の権利を信託する場合は、曲ごと、支分権ごとに信託する範囲を調整することが出来る。デッドボールPは自ら音楽出版社と交渉し、「演奏」「貸与」「放送」「通信カラオケ」を信託する一方、インターネットでの利用にかかわる「インタラクティブ配信」は信託しないという形を示した。デッドボールPがこのような枠組み作りに積極的に取り組んだのは、学生時代に活動していたインディーズレーベルで自分の楽曲を他人名義にされたり、二束三文で買い取られたりといった経験を繰り返したことから、「アマチュアであっても権利はしっかり守るべきだ」という意識が強かったことがあるという。こうした取り組みの影響もあり、2010年末には、エクシング・ミュージックエンタテイメントやクリプトン・フューチャー・メディアなど、同様の部分信託の方法で曲の権利を扱う音楽出版事業を行う事業者も現れるようになった。ただ、デッドボールPは現在の仕組みはまだ不十分と見ており、「小規模な個人だけでなく、大規模な法人も音楽の二次利用をしている。前者からはお金を取らず、後者からは集められるような仕組みがあるといい。そうすることで個人(創作者)の層が厚くなっていくと思う」としている。