宮沢りえ

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宮沢 りえ(みやざわ りえ、1973年4 月6日 - )は、日本の女優。身長167cm、所属芸能事務所は、エムツー企画。現在は、女優として映画、舞台、テレビドラマなどに出演している。1973 年(昭和48年)、日本人の母親と、オランダ人の父親との間に生まれる。東京都練馬区出身、練馬区立大泉学園中学校卒業。11歳の頃にモデルとしてデビューし、程なくして雑誌 『週刊セブンティーン』(当時)の表紙モデルとなった。1987年(昭和62 年)、『三井のリハウス』の初代リハウスガール“白鳥麗子”役を務めて注目を集め、トップアイドルの一人となった。10代の頃には、ふんどしカレンダーやヘアヌード写真集などの奇抜な話題作り、そしてマネージャーを務めていた母親(通称・りえママ)の存在とで注目された。婚約や婚約解消、また男性との交際、さらに拒食症の噂など、芸能マスコミからのバッシング報道が相次ぎ、アメリカサンディエゴへの移住を発表するなど、一時期は芸能活動休止状態となった。激痩せから回復して来たと見られる頃から徐々に芸能活動を再開し、2002年の『たそがれ清兵衛』で落ち着いた演技を見せ、映画の成功以降は、女優としての活動の幅が広がり、本格派女優としての評価が定着しつつある。尊敬する岡本太郎が書き綴った「生きること、死ぬこと」「夫婦愛」などの詩を朗読する活動も行っている。柔らかなウィスパーボイスの持ち主で、近年はナレーション業も多く務めている。幼少期は、伯母の下で従兄弟達と育つ。オランダ人の父親とは母親が離婚したため、全く交流がなかった。テレビ朝日のワイドショーの取材で異母兄弟がいることが明かされた。また、異父兄弟の日本人男性も1人いる。桑田真澄やビートたけしなど、大物との交流でも話題となった。大の巨人ファンであり、特に犠打職人、川相昌弘のファンだった。貴花田(当時)との婚約解消騒動以後は、中村勘三郎との不倫や自殺未遂疑惑が報道された。 * 1985 年、明星食品「チャルメラ」でCMデビュー。 * 1987 年、初代リハウスガールを務める。 * 1989 年、初主演映画『ぼくらの七日間戦争』で日本アカデミー賞新人賞を受賞。小室哲哉楽曲提供による『ドリームラッシュ』で歌手デビューし、音楽番組『ザ・ベストテン』の最終回にランクインした(出演はなし)。カレンダーでは大胆なふんどしルックが話題を呼ぶ。 * 1990 年、『NHK紅白歌合戦』に出演。NHKホール外で自由に歌いたいとの本人の希望で、紅白初の中継出演となった。芝浦の倉庫屋上でバスタブに浸かりながら『Game』を歌った姿が話題を呼んだ。同年代に活躍していた、宮沢、観月ありさ、牧瀬里穂の頭文字「M」から「3M」と呼ばれる。 * 1991 年発売の写真集『Santa Fe』(篠山紀信撮影)は人気絶頂時のヌード写真集で大ヒットし、150万部のベストセラーとなる。東南アジアなどでは、海賊版も出回った。 * 1992 年11月27日、貴花田(当時関脇、現在の貴乃花親方)との婚約を発表。当時、国民的な人気を誇っていた2人の婚約は“世紀のカップル誕生”と大きな話題となる。しかし、1993年1 月27日、「人生最高のパートナーになれなかった」とコメントを発表し、わずか2ヶ月間で婚約解消を発表。 * 2001 年、香港映画『華の愛~遊園驚夢』で第23回モスクワ国際映画祭・主演女優賞受賞。 * 2003 年、『たそがれ清兵衛』で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞。 * 2005 年、『父と暮らせば』で第47回ブルーリボン賞・主演女優賞受賞。 * 2009 年2月、妊娠6ヶ月であることを発表。同年5月、第一子となる女児を出産。同年8月に復帰。