八神純子
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黄昏のBAY CITY(プロモーション用DISCOバージョン)
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八神純子
13 rooms
詳細
八神純子(やがみ じゅんこ、1958年1月5日 - )は、シンガーソングライター。本名Junko Stanley。June Stanley名義でも活動している。愛知県名古屋市千種区出身。(株)八神製作所第4代会長の八神良三の長女として生まれ、約3000坪の邸宅に育つ。3歳からピアノを、小学校1年生から日本舞踊を習う。幼い頃から歌が大好きで、自宅でも壁に向かってザ・ピーナッツやシャーリー・バッシーの歌をうたいつづけ、両親を呆れさせたという。愛知淑徳高等学校合格と共にヤマハのヴォーカルタレントスクールに通い始める。16歳のとき初めて作詞作曲した『雨のひとりごと』が、1974年、第8回POPCON優秀曲賞に入賞。同年、同じ曲で第5回世界歌謡祭出場。1975年、第9回ヤマハポピュラーソングコンテスト優秀曲賞に入賞。同年、第6回世界歌謡祭で歌唱賞を受賞。1976年、高校3年のとき、第17回チリ音楽祭で6位入賞。高校卒業後は大学に進学せず音楽の道に進み、20歳のとき『思い出は美しすぎて』でプロ歌手としてメジャーデビュー。この曲は売上11.5万枚の小ヒットとなる。デビュー2曲目の『さよならの言葉』は他人が書いた曲で嫌々歌ったところ1.9万枚しか売れず、商業的に失敗。歌手として引退の危機に陥っていたとき、原宿の歩道橋で不意に曲想を得て『みずいろの雨』を作曲(作詞は三浦徳子)。この曲を同年に3枚目のシングルとしてリリースしたところ、1978年から1979年にかけてレコード売上58万8000枚の大ヒットとなる。その後も『想い出のスクリーン』『ポーラー・スター』『Mr.ブルー』などがヒット曲となる。また、1980年のNHK紅白歌合戦には、これも56万4000枚の大ヒットとなった『パープルタウン』で初出場を果たした。郷ひろみとの交際が週刊誌に取沙汰されたこともあったが、八神によると郷は映画や食事に行く程度の友人に過ぎず恋人ではなかったという。1983年に渡米して活動の拠点を米国ロサンゼルスに移す。そして全曲英語のアルバム『I WANNA MAKE A HIT WIT-CHOO(恋のスマッシュヒット)』を発表したが出来映えに満足できず、自らの限界を感じてヤマハから脱退。1986年、2歳上のイギリス人の音楽プロデューサーJohn Stanley(ジョン・スタンレー。40歳のときロースクールに入学し、のち弁護士に転じた)とハワイで挙式。夫との間に2子あり。しかし、その夫が結婚前に交際してた聖心女子大学卒の万代桂子には嫉妬心からかなり嫌がらせをされたのも事実であった。アメリカ合衆国カリフォルニア州シミバレーのウッドランチ在住。1990年から2000年までは、毎年、帰国してコンサートやディナーショーをおこなっていたが,2001年以降、日本でのライブ活動はおこなっていない。