天使の誘惑

夕月

土曜の夜何かが起きる

ブラック・ルーム

黛ジュン

13 rooms
品川区立冨士見台中学校卒業後、本名で各地の米軍キャンプにジャズ歌手として巡る。1964 年に「渡辺順子」の名でデビューするもヒットせず、1967年に石原プロモーションに移籍すると共に、黛ジュンと改名し、東芝音楽工業から「恋のハレルヤ」で再デビュー。ミニスカートと共に、パンチの効いた歌声で、一気に注目を集める。1968 年にリリースされた「天使の誘惑」はさらに大ヒットとなり、その年の第10回日本レコード大賞に輝いた。1967年から1968年の2年間で、レコード売上が500万枚を記録。自身の歌と共に、その歌が主題歌となった映画にも出演。「天使の誘惑」「夕月」では主演に抜擢、売れっ子女優にもなった。また年末恒例のNHK紅白歌合戦では、1967年の第18回から1970年の第21回まで、4年連続で通算4回の出場を果たしている。1970年代になると低迷するものの、1980年には「風の大地の子守唄」「男はみんな華になれ」が久々のヒット。さらに、1983年には日活ロマンポルノ「女帝」にも出演する。1993 年には久々の新曲「すべてがさよならになる」を発売。現在では、舞台やショーを中心に歌手として活躍している。1970 年に東京サンケイホールで開かれた『リサイタル'70』などが2005年に CD化された。現在は独身。結婚歴は2回あるものの、2回とも離婚している。2回目の結婚時は、作詞家の里村龍一と入籍したものの、たった2か月で破局を迎えた。2009 年5月11日、実兄で作曲家の三木たかしが64歳で死去。同年1 月13日、『NHK歌謡コンサート』で30年ぶりの兄妹共演を果たしてから、わずか4か月後の悲報だった。実兄の最期を看取る事は出来ず、「兄のギターで歌っていた幼い日々や、初めて兄の作品を吹き込みした時のことが、次々と甦ってきて今は言葉にできません。申し訳ありません」とFAXでコメント。その後、5 月19日の通夜の席では「私は兄に褒められたくて一生懸命歌ってきた。兄には『私はこれからどうしたらよいのか教えてちょうだい』と言いたい」と終始大粒の涙を流しながら、悲痛な表情を浮かべていた。2009年6月16日、『NHK歌謡コンサート -特集・三木たかしの世界-』が生放映。黛は亡き実兄との想い出話を語った後、三木の作曲で大ヒットとなった「夕月」を、哀しみを抑えて歌唱した。