小林麻美
をYoutubeで聴きながらチャットしよう!
再生曲一覧
もっと見る
雨音はショパンの調べ
I Miss You
小林麻美
13 rooms
詳細
小林 麻美(こばやし あさみ、1953年11月29日 - )は、日本の元歌手・女優・モデル。本名、田邉 稔子(たなべ としこ)。旧姓、小林。東京都大田区大森出身。普連土学園中学校・高等学校卒業。夫は田辺エージェンシー社長の田邊昭知。生家は大森新地近くにあり、父親は国鉄の信号機などを設計する技術者、母は美容師で共働きであった。7歳違いの姉がいる。15歳の時、骨髄炎から急性肝炎を併発して1年間入院療養をする。高校一年の時、少女雑誌のモデルにスカウトされ、2、3回その仕事をこなした後、1970年、ライオン歯磨きのコマーシャルガールに選ばれる。しかしこの時、テレビコマーシャルの撮影でスキーを行った時に複雑骨折してしまい、長期休業。小林をあてにしてのれん分けまでしたその事務所は、1ヶ月で消滅してしまう。1972年、18歳の時、東芝レコードから「初恋のメロディー」で歌手デビュー。同期に麻丘めぐみ、五十嵐じゅんら。「初恋のメロディー」はオリコン18位を記録したが、当時のアイドル状況に於いては、長身で猫背、笑わずうつむき加減に歌う小林は、暗い印象を持たれてウケ入れられず歌手は自然消滅となる。小林の名が浸透したのは1970年代後半、資生堂、パルコなどのCMで、特に1977年のパルコCM「淫靡と退廃」で、今度は細い体や暗さがウケた。その後に所属した主な芸能事務所は、田辺エージェンシー。1984年に歌手として「雨音はショパンの調べ」が大ヒットしたが、当時歌番組で歌ったことは一度も無かった。長い髪、陰のある表情、背が高く細い身体、柳腰、寡黙などが特徴的で、都会的でアンニュイな雰囲気で人気を得た。1980年代前半に映画やテレビドラマに出演し、当時所属していた事務所の社長の田邊昭知と結婚、家庭に入るため、芸能活動から完全に引退した。