大沢誉志幸
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そして僕は途方に暮れる
ゴーゴーヘブン
大沢誉志幸
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大澤 誉志幸(おおさわ よしゆき、1957年10月3日- )は、日本の歌手、作曲家、音楽プロデューサー。東京都杉並区生まれ。高校の学園祭でバンドを結成して音楽活動を始める。駒澤大学在学中、初期はブルーグラスをやっていたが、のちにR&Bに傾倒。大学在学中の1978年にロックバンド「クラウディ・スカイ」(大澤はボーカル担当)を結成。卒業後の1981年にビクターからレコード・デビューするが、アルバム1枚・シングル2枚を残すのみで同年末に解散。バンド解散直後、大澤は印税を前借りして単身渡米。ニューヨークのクリストファー・ストリート近辺のロフトで約1年間過ごす。帰国後、エピックのディレクターに才能を見出され、ミュージシャン契約を結び、当時のロック・ミュージシャンとしてはかなり珍しいタイプで「アイドルへの積極的楽曲提供とプロデュース」で一躍売れっ子作曲家として注目を浴びる。楽曲提供活動と並行しながらソロ活動を始め、1983年6月22日に「大沢誉志幸」名義でシングル「彼女には判らない」、アルバム『まずいリズムでベルがなる』でソロデビュー。ハスキーなボーカルとR&Bを巧みに取り入れたスタイリッシュなロックサウンドの所以で、和製オーティス・レディングの異名をとった。1980年代は作詞家の銀色夏生とタッグを組み、「そして僕は途方に暮れる」「恋にjust can't wait」「ゴーゴーヘブン」などのシングルヒット、アルバム『Serious Barbarian』のシリーズ三部作やオムニバスアルバム『Dance to Christmas』の企画などで、エピック黄金時代の一角を担った。1992年の『NAIVE』前後から音楽性がスタイリッシュなAORサウンドへと移行し始め、1995年にワーナーに移籍すると『Love Healing』『Loveduce』『Love Life』の「LOVE3部作」を発表した。1998年末にレーベルの枠を越えた2枚組ベストアルバム『ID Y BEST COLLECTION』を発表した直後に、「大沢誉志幸としてやれることは全てやった」「音楽ビジネスの新しい形態を見据えて準備期間を取りたい」などの理由で「今後大沢誉志幸として楽曲を発表することはない」と歌手活動の停止を表明し、1999年3月5日、「悦楽の15年 最後のシャウト」(東京国際フォーラム ホールC)をもって、大沢誉志幸としての歌手活動を終了した。2002年にボサノヴァ等のブラジル音楽を基調にしたサウンドを打ち出し、「大沢誉志幸」から「大澤誉志幸」に改名して歌手復帰。2003年には古巣のエピック25周年記念のイベント「LIVE EPIC 25」にも出演し、ソロデビュー20周年盤『Y』をエピックから発表した。2004年からは自身のレーベルSORTEにしっかり腰を据えて『Favorite』を軸にした活動を行っている。