ピンキーとキラーズ

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ピンキーとキラーズ(ラテン文字表記:Pinky & Killers)は、1968年から1972年にかけ日本で活躍した、ソロ歌手を伴ったボサ・ノヴァ・バンドである。グループ名のピンキーとは「小指」、キラーズとは「殺し屋」という意味である。愛称は、ピンキラ。1968年結成のボサノバ・グループ。前年の1967年に15歳で「甘ったれたいの」でビクターレコードからソロ歌手としてデビューした今陽子(ピンキー)がキングレコードに移籍し、男性ボーカル4人ジョージ浜野(ギター、1941年1月1日 - )、エンディ山口(ギター、1945年6月12日 - )、ルイス高野(ベース、1947年1月14日 - )、パンチョ加賀美(ドラムス、1944年2月21日 - )と顔ぶれで結成。山高帽(ダービーハット)をトレードマークにしていた。特にデビュー時にピンキーの山高帽に黒いパンタロンスーツという出で立ちは人目を引いた。デビュー盤『恋の季節』のライナーノーツには『セルジオ・メンデスを目指す新進気鋭のグループ』と書かれていた。デビュー曲の「恋の季節」(岩谷時子作詞、いずみたく作曲)は発売直後から爆発的ヒットを記録し、オリコンで17週間1位(歴代最高記録)となるミリオンセラーを記録し、270万枚を売り上げた。ピンキーの伸びのある歌唱力抜群のアルトと男声4人の低音の利いたコーラスの対比と振り付け、幼児までも口ずさめるほどわかりやすくそれでいて意味深な歌詞、そしてトレードマークの山高帽の斬新さが大ヒットへとつながり、「第10回日本レコード大賞新人賞」を始め、数々の新人賞を総なめにし、第19回NHK紅白歌合戦では男女混成グループとして初の出場を決めた。また1969年2月、同名映画が彼ら主演のもとに松竹にて製作され、公開される。1969年1月、4枚目のシングル「涙の季節」が発売され1位になり、続く「七色のしあわせ」が4位、「星空のロマンス」が10位とオリコンのTOP10に入ったが、それ以降TOP10からは遠ざかった。1972年2月に今がソロに転向し脱退。脱退した理由は今陽子が「おっさんたち、足手まとい!」とキラーズに暴言を吐いた為である。一方、キラーズは2人組の女性ヴォーカル(ラブリーズ)を加え、ニュー・キラーズとして再スタートするが、1974年3月、解散する。