スウィート・ソウル・レヴュー

東京は夜の七時

Nata Di Marzo

ベイビィ・ポータブル・ロック

イッツ・ア・ビューティフル・デイ

私のすべて

ハッピー・サッド

マジック・カーペット・ライド

悲しい歌

陽の当たる大通り

Twiggy Twiggy

メッセージ・ソング

ウィークエンド

I Hear a Symphony

Peace Music

Magic Carpet Ride

Go Go Dancer

Pizzicato Five

13 rooms
ピチカート・ファイヴ/英語表記:PIZZICATO FIVE(1984年~2001年3月31日)は、日本の音楽グループ。デビュー当時は“PIZZICATO V”の表記だった。1990年代の日本において一世を風靡した「渋谷系」と呼ばれる系統に属し、その音楽性のみならずファッションなどの面でも評価が高かった。自らを「ハッピー」、「キャッチー」、「グルーヴィー」、「ファンキー」といった言葉で形容することが多い。日本における人気・知名度は必ずしも低くはなかったが、そのファン層は比較的限定されていた。また、その活動はアメリカやイギリス、フランスなどの欧米諸国にまで及び、このグループを知らない日本人にとっては「意外なほど」海外での知名度は高かった。 劇場版『チャーリーズ・エンジェル』('00年)で「トゥイギー・トゥイギー~トゥイギー対ジェイムズ・ボンド~」が流れ、ミック・ジャガーもピチカート・ファイヴのファンを公言していた。また、熱狂的なファンを指す用語や、公式ファンクラブの名称は「ピチカートマニア!」としていた。その名が広く知られるようになったのは1993年4月にリリースした「スウィート・ソウル・レヴュー」によってである。カネボウ化粧品「REVUE」シリーズ春のキャンペーンソングに採用されたこともあり、本作はスマッシュ・ヒットとなる。さらに同年6月に発表したアルバム『ボサ・ノヴァ 2001』(元フリッパーズ・ギターの小山田圭吾との共同プロデュースによるアルバム)はオリコンチャートで最高7位を獲得。12月にリリースした「東京は夜の七時」も、フジテレビ系の子供番組『ウゴウゴルーガ2号』のオープニング曲に採用されてさらに知名度を高め、一気に一流アーティストの仲間入りを果たした。2001年1月1日、21世紀最初でオリジナルとしては最後のアルバム『さ・え・ら ジャポン』をリリース。『東京』から視野を広げて『日本』をテーマとしたありとあらゆる楽曲が詰め込まれたこのアルバムでは、「東京の合唱」でフィーチャーされた松崎しげる・YOU THE ROCK☆は勿論、雪村いづみ・デューク・エイセス、ロケットマン(ふかわりょう)、横山剣(クレイジーケンバンド)、クレモンティーヌ、イマクニ?、ハナレグミなどの豪華絢爛たるゲストをフィーチャリングした事でも高い評価を受ける。しかし、2001年3月14日前後に、月末(3月31日)をもってピチカート・ファイヴが解散するとreadymade records,tokyoから急遽発表される。 解散の理由は小西曰く、「『さ・え・ら ジャポン』の出来が、ゲストの力を借りる形で今までになくすばらしい出来上がりで、解散するなら(最高の状態の)今かな」との事。これに関しては『元祖渋谷系が終止符を打つ』などの内容で、朝日新聞などの文化面でも報じられた。そして解散の日、ベストアルバム『PIZZICATO FIVE R.I.P.〜Big Hits and Jet Lags 1998-2001』をリリースし、かつてのメンバーであった田島貴男や高浪敬太郎、および大勢のゲストを招いてライブ(通称「お葬式」ライブ、オール・ナイトで行われた)を行い、その活動に終止符を打った。結果として、1999年から2001年3月末の解散までの間に12種のCD・LP盤を1-3ヶ月のハイペースで立て続けにリリースとなった。