God Save the Queen

Anarchy In The UK

Anarchy in the U.K.

Holidays in the Sun

Pretty Vacant - Remastered

Bodies

No Feelings

Pretty Vacant

Problems

Seventeen

Liar

New York

EMI

Submission

God Save The Queen - Remastered 2012

Anarchy In The UK - Remastered 2012

My Way

I Wanna Be Me

Friggin' in the Riggin'

Silly Thing

Satellite

No Fun

C'mon Everybody

Something Else

Road Runner

Lonely Boy

Substitute

(I'm Not Your) Stepping Stone

Johnny B Goode

Did You No Wrong

No One Is Innocent

E.M.I.

Sex Pistols

13 rooms
セックス・ピストルズ (Sex Pistols) は、イギリスのパンク・ロックバンドである。ザ・クラッシュ(The Clash)、ダムド(The Damned)らとともにイギリスパンクロックムーブメントを代表するバンドの1つである。これらの3つのバンドの活動時期はパンクロックの創生期にあたるため初期パンクと呼ばれ、そのセンセーショナルさから、当時はもとより後年における世界中の様々なアーティストに影響を与えた。彼らはロンドンパンクのパイオニアでありクラッシュ、ダムド達と共にパンクロックを社会的に位置づけ、ファッションや生き方など現在も続くパンクスタイルと呼ばれるものを作った立役者である。1970年代のロックミュージックシーンは、プログレッシヴ・ロックなどに代表される演奏テクニックや理論を重視する音楽に支配されていた。その姿勢に対しての不満が頂点に達した頃、ロンドンのキングスロードでヴィヴィアン・ウエストウッドデザインの服を売る小さなブティーク 『SEX』 を経営していたマルコム・マクラーレンが、『SEX』に出入りしていたスティーヴ・ジョーンズSteve Jones(ギター)、ポール・クックPaul Cook(ドラムス)、ジョニー・ロットンJohnny Rotten(ヴォーカル)と、ブティークの従業員であったグレン・マトロックGlen Matlock(ベース)の4人を反社会的なロックバンドとして結成させた。というポップス界の伝説もあるが、実際はポールとスティーヴなどの何人かがすでにバンドを結成しており、グレンがマルコムの店で働いていたためにマルコムと関係するようになった。マルコム・マクラーレンはアメリカで末期ニューヨーク・ドールズのマネージャーを務めるなど、ニューヨーク・パンクのムーヴメントに触れており、パンク・ロックをイギリスで流行させようと目論んでいた。テクニックや音楽理論を必要としないシンプルで攻撃的な演奏、大手音楽レーベルや政府、ロイヤルファミリーまでを標的にした歌詞、古くなって破れた洋服を安全ピンで留めるファッション(当時はアンチ・ファッションとしていたが、後にそれがファッションとして形づけられた)、短くカットされツンツンに立てられたヘア・スタイル、TVや雑誌のインタビューでは SHIT,FUCK を連発する人を馬鹿にしたような態度など、このバンドの権力や体制に反抗的な態度は、当時イギリス国内の歴史的な大不況や根強く残る階級社会などで不満を抱えた労働者階級の若者たちを次々と駆り立てる結果となり、ついにイギリスでは放送禁止令まで受けてしまうが、彼らは世界中の若者たちにとっては反抗を肯定してくれる存在だった。同時に保守的思想の愛国主義者からはその言動や楽曲、ファッションまでが敵視され演奏会場の提供拒否や排斥運動が起こる事態となった。彼らに対する拒否反応は最終的にはメンバーが右翼の暴漢に襲われて重傷を負うまでに高まった。MI5(英国機密情報局)本部のテロリスト・諜報部員などの監視を行う部署には、『1977年コンテンポラリーミュージック破壊活動分子』と云うタイトルの付いた膨大な量の資料の入ったファイルがあり、中の書類は、全てセックスピストルズに関するものだったと元MI5部員の証言もある。しかし彼らは完全な左派ではなく、彼らの楽曲『Bodies』は、イギリスの保守ソングのランキング10位中にランクインされている。切り裂いた洋服を安全ピンで留める、短くカットされツンツンに立てられたヘア・スタイルといったパンク・ファッションは、元々リチャード・ヘル(テレヴィジョンやハートブレイカーズの創設メンバーであるニューヨークのミュージシャン)がやっていたものを、マルコム・マクラーレンがセックス・ピストルズにフィードバックしたものという説もあるし、ジョニー・ロットンが、アンチ・ファッションとして、当時ロングヘアが流行っていたために短くしたりしていたという説もある。のちにグレン・マトロックはビートルズ、ポール・マッカートニーが好きであると公言したことを理由としてマルコム・マクラーレンに脱退させられ(というのは建前で、実際には他のメンバー、とりわけジョニーとの軋轢が限界に達したために、自らバンドを去ったのが実情である)、代わりにセックス・ピストルズの熱狂的なファンであり、ジョニー・ロットンと親交のあったシド・ヴィシャスが加入する。ポゴダンスを考案したとされるシドの加入でピストルズはヴィジュアル面でよりパンク的でスター性のあるバンドとなった。しかし高い演奏能力があるだけでなくピストルズのほとんどの曲を書き、アートワークでの功績も大きかったグレンの脱退はバンドの将来に暗い影を落とすこととなった。ロンドンのクラブでの演奏により、徐々にファンを増やしていった彼らは、EMIと契約をしてレコーディングし、シングル「Anarchy In the U.K./I Wanna Be Me」でデビューするが、直後にEMIは契約を破棄。続いてA&Mと契約しシングル「God Save the Queen/No Feelings」が計画されるが、発売前にA&Mが契約を破棄。両社から短期間(A&Mに至っては契約した次の日に破棄なので2日間)に巨額の違約金を手に入れる。最終的にはヴァージン・レコードと契約をして以後のシングル、アルバムを発売している。このメジャー契約のトラブルは、バンド側の姿勢もさることながら、すでに当該レーベルに所属していたプログレッシブ・ロックのミュージシャンたちの強硬な反対も大きく影響していた。最終的に落ち着いたヴァージンでも、マイク・オールドフィールド(ヴァージン契約第1号ミュージシャンでもある)が最後まで契約に反対していた。初にして唯一のオリジナルアルバムとなる「勝手にしやがれ!!」はビートルズの『ホワイト・アルバム』を手がけたクリス・トーマスのプロデュースにより製作された。マルコムはその販売権を当時はまだプログレ専門で力の弱かったヴァージンには独占させず、フランスの会社に一曲多い盤の製作を許可するなどの揺さぶりをかけるなどした。 米国では大手のワーナー・ブラザーズ日本では当初日本コロムビアからと資本系列に無関係な契約により発売された(後に日本盤はビクター音楽産業 東芝EMIとヴァージンの提携レーベルからの発売に変更された)。