I Want You to Love Me

Shameika

Under the Table

Fetch the Bolt Cutters

Cosmonauts

Criminal

Ladies

Relay

Rack of His

Heavy Balloon

For Her

Newspaper

Paper Bag

Drumset

Every Single Night

On I Go

Shadowboxer

I Know

On The Bound

Sleep to Dream

Fast As You Can

Valentine

Across the Universe

Limp

Werewolf

Hot Knife

Daredevil

A Mistake

Sullen Girl

To Your Love

Love Ridden

The First Taste

Extraordinary Machine

The Way Things Are

Left Alone

Slow Like Honey

Jonathan

Periphery

Anything We Want

Never Is a Promise

Not About Love

Regret

Largo

O' Sailor

Tymps (The Sick in the Head Song)

Carrion

The Child Is Gone

Pale September

Better Version Of Me

Fiona Apple

13 rooms
フィオナ・アップル・マッガート(Fiona Apple Maggart, 1977年9月13日 - )は、アメリカのシンガーソングライター。「フィオナ・アップル(Fiona Apple)」として主に知られる。アップルはエンタテイメント業界に根ざした家系の一員である。ニューヨーク市に、ダイアン・マカフィー(歌手)とブランドン・マッガート(俳優)の娘として生まれた。姉のアンバー・テイルーラ(Amber Taleullah)はモード・マッガート(Maude Maggart)というステージ・ネームで歌うキャバレーの歌手である。兄弟のスペンサーは彼女のシングル “Parting Gift”のビデオ監督を務めている。義理の兄弟ギャレット・マッガートはTVシリーズ“The Sentinel”に出演している。さらに母方の祖母にあたるミリセント・グリーン(Millicent Green)は1920年代の『ジーグフェルド・フォリーズ』と並ぶ代表的ミュージカルである『ジョージ・ホワイツ・スキャンダルス』のダンサーで、祖父のジョニー・マカフィーもビッグバンド時代にマルチ管楽器奏者兼ボーカリストとして活躍していた(夫妻はジョニー・ハンプ楽団のツアー中に出会っている)。12歳の誕生日を迎える直前、アップルは学校から母のアパートへ帰る途中レイプの被害に遭う。このレイプ体験については彼女のいくつかの作品(“Sullen Girl”等)に微妙な表現がみられるが、必ずしも主たるテーマとなってはいない。メディアはアップルの暗い過去の体験をクローズアップしがちであるが、彼女自身は自分がインタビュアーにレイプ体験の話をしたのはそれが恥ずべき類いの経験だと考えてほしくなかったからだと語っている。彼女がトーリ・エイモスのことを「レイプの看板娘(poster girl for rape)」と呼んだという噂があるが、これは彼女がインタビューでエイモスの“Me and a Gun”に影響を受けたと語ったことと、レイプ被害体験をもつ人々に対して歌が強いメッセージを持っていると語ったことの2つがねじ曲げられて発生したものだと考えられる。幼年期は引っ込み思案の傾向があり、同時に強迫性障害でもあった。幼年期の彼女を知る友人によると、12歳のとき、姉のアンバーと心中すると両親に冗談を言ったことがきっかけでセラピーの世話になっていたことあるとのことだ。 彼女自身が信頼できるセラピーを見つけるまでの道のりは長く、いくつもの診察を受けることになったようである。アップルが音楽業界に飛び込むきっかけとなったのは、レコード会社の重役のもとでベビーシッターをしていた友人にデモテープを手渡したときだった。アップルのメゾ・ソプラノの声、ピアノ演奏、そして歌詞はソニー・ミュージックの重役アンディ・スレイターの気をひき、彼女をレコード契約への導いた。1996年、アップルのデビューアルバム“TIDAL”がソニー傘下のレーベルからリリースされた。このアルバムは270万枚を売り上げてアメリカではプラチナディスクとして認定され、3枚目のシングル「クリミナル(Criminal)」がアップルのブレイクを生んだ。この曲はアメリカのビルボードでトップ40にランクインし、物議を醸したマーク・ロマネク監督によるミュージック・ビデオを中心に大きな注目を集めた。マネージャーのスレイターはこのビデオを「ロマネクが映画監督グレッグ・アラキと写真家ナン・ゴールディンに捧げたもの」と語っており、人々は「セックスを想起させる」と指摘した。後年、アップルは「あれが私を有名にしたけど、私自身は誇りに思っていない…私はビデオに出てきたような女の子になりたいとは思わないし、困惑している。でもあの曲が彼らが犯した過ちを神に告白する内容になっていることは認めるわ…だけど物事がねじ曲げられて解釈されることがいかに恐ろしいかを思い知った経験だった」と語っている。さらに後年、彼女はそのビデオと曲のマッチングについて聞かれ、“beautiful”と答えてもいる。“TIDAL”からは他に「シャドウボクサー」「スロウ・ライク・ハニー(アメリカでのみラジオ曲向けシングルとしてリリース)」、「スリープ・トゥ・ドリーム」「ザ・ファースト・テイスト「ネヴァー・イズ・ア・プロミス」がリリースされた。盛んなメディア露出の中で形成されていった自分のパブリックイメージにアップルは苦しむことになる。最も良く知られているのが1997年のMTV Video Music Awardsにて“Best New Artist”を受賞したときのことで、彼女は「この業界は腐りきっている。この業界の人間がクールだと決めたこと、ファッション、考え方に影響されて自分たちの生き方を変えるなんて馬鹿げている」とメインストリームの音楽業界を批判した。彼女はマヤ・アンジェロウの“Go with yourself”という言葉を引き合いに出してもいる。彼女の発言は授賞式の場では拍手と喝采をもって賞賛されたものの、メディアからはすぐに総スカンを喰らい、クリス・ロックなどはそのスピーチに関して嘲笑ともとれるコメントを残している。下着だけをつけてきわどいミュージックビデオに登場する彼女と、若い女性たちにセレブリティ・カルチャーへの批判を説く彼女に矛盾を感じ、あの発言は偽善的だという意見もあった。彼女は弁解こそしなかったが、「何か言うことがあるとしたら、そうね、ああゆうことを言ったら爽快だろうな、ってとこかしら」という言葉を残している。スタンドアップ・コメディアンのデニス・リアリーはアルバム“Lock 'N Load”に「アップルの本からの朗読」と題した皮肉たっぷりのスピーチを収録している。ジャニーン・ガラファローはアップルの痩せ細った外見を物まねしてみせた。ガラファローのファンでもあったアップルはこれに憤慨し、その主な理由は、ガラファローが「彼女は痩せることに必死」とトークし、アップルの体重についてからかうガラファローを偽善と感じたからだった。伝えられるところによるとガラファローは「あれはコメディよ。軽く流してよ」と応じたという。この時期にアップルはビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」とパーシー・メイフィールドの「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」の2つのカバー曲を映画『カラー・オブ・ハート』のサウンドトラック盤に提供している。1999年11月9日、アップルのセカンド・アルバム『真実』がリリースされた。原題の“When the Pawn Hits the Conflicts He Thinks like a King What He Knows Throws the Blows When He Goes to the Fight and He'll Win the Whole Thing Fore He Enters the Ring There's No Body to Batter When Your Mind Is Your Might So When You Go Solo. You Hold Your Own Hand and Remember That Depth Is the Greatest of Heights and If You Know Where You Stand. Then You'll Know Where to Land and If You Fall It Won't Matter, Cuz You Know That You're Right”はSpin誌にネガティブな話題で彼女が掲載された後に読者から送られてきた手紙を読んだのを受けて 書いた詩で、邦訳は国内盤CDの帯によると「戦場に赴く歩兵は/王様のように考えるの/戦いの中では/知識こそがとどめをさせるから/そして彼はリングに上がらすとも/既に勝利を手に入れているわ/知性を武器にしたとき/叩きのめす相手など存在しないのだから/だから独りで歩き出すときには/自分を信じて/自分を深めることだけが、頂上へと導いてくれるのだと覚えていなさい/そして自分が何処に立っているかを分かっていれば/何処に向かえばいいかも分かるはず/もしも途中でつまずいたとしても、大したことじゃない/だってあなたの中にこそ"真実"はあるのだから」となっている。なお、ギネス・ワールド・レコーズではこのアルバムの題名は最も長い題名のアルバムとして認定されている(無名のアルバムを除く)。このアルバムはアップルと映画監督ポール・トーマス・アンダーソンとの関係から生み出されたものになっている。『真実』はニューヨーク・タイムズやローリング・ストーンのような雑誌から好意的な評価をもって迎えられたが、何人かの評論家は突然このアルバムをバッサリと切り捨てた。代表的なのは前述のSpin誌で、その長いアルバム・タイトルを全て引用してから「おっと、もうレビューを書くスペースがない。星一つ」というものだった。『真実』ではさらに強烈な歌詞、ドラム・ループを用いた実験、メロトロンに似た楽器のChamberlinがフィーチャーされていた。商業性という意味ではデビュー・アルバムに劣るもののアメリカでは91万と7千枚を売り上げ、RIAAにゴールド・ディスクとして認定された。先行シングルとなった「ファスト・アズ・ユー・キャン」は、ビルボードのModern Rock TracksチャートでTOP20入りし、イギリスでもアップルにとって初のTOP40入りシングルとなった。シングル・カットとなった2曲のビデオ「ペイパー・バッグ」と「リンプ」は当時付き合っていたアンダーソンによって監督されたが、どちらも小ヒットに終わった。批評家たちはこのアルバムの古風で独創的な表現の歌詞を難解だと受け止めたようである。2000年にニューヨークの Roseland Ballroomで行われたコンサートでは、アップルが会場の音響トラブルに不平を訴えて開演早々にステージを降りたところ、批評家および観客からブーイングを浴びるという事件が起こっている。2002年、アップルはジョニー・キャッシュとサイモン&ガーファンクルのカバー曲 "Bridge over Troubled Water"のデュエットを披露し、彼のアルバムAmerican IV: The Man Comes Aroundのラストを演出した。本作はグラミー賞の“Best Country Collaboration with Vocals”部門にノミネートされている。またキャッシュとは2003年のアルバム“Unearthed”でもキャット・スティーヴンスのカバー“Father and Son”で共演している。アップルのサード・アルバム『エクストラオーディナリー・マシーン』はジョン・ブライオンによって製作され、2003年5月にソニーの重役にマスターが引き渡された。伝えられるところによるとソニーはその完成品に関心を示さず、2年以上にわたってこのプロジェクトをお蔵入りにした。2004年と2005年にはいくつかの音源がMP3形式でインターネットに流出し、アメリカ国内外のラジオ局でオンエアもされている。その後もブライオンが製作したと思われる(彼は後に流出音源は彼の作業後に「つまみ取られた」ものだと主張している)アルバムの全曲がMP3でインターネットに流出している。音源を配信していたあるウェブサイトはデジタルミレニアム著作権法によってすぐに閉鎖に追い込まれたが、彼らはすぐにP2Pネットワークに音源を流し、ファンはそこからダウンロードを行っていた。ファンによるキャンペーンFree Fionaは、アルバムの公式なリリースを支援するために立ち上げられたものである。2005年の8月、アルバムの発売日を10月とする発表がなされた。製作は(ドクター・ドレー等のヒップホップ・アーティストとの仕事で知られ、アップルの前作『真実』でもベースとして参加していた)マイク・エリゾンドによって引き継がれ、エレクトロニカの実験的アーティストであるブライアン・ケヒューも関わっていた。Spin誌は後にこう伝えている:「ファンはアップルがレコード会社のEpicに『エクストラオーディナリー・マシーン』の最初のバージョンを却下されたと勘違いしていたようだが…実際はエリゾンドの仕業で、レコード会社のせいではなく、結果に満足しなかったアップルが自分でやり直しを決定したのだ」。アルバムには流出した11曲のうち2曲を除いて、9曲が完全に再製作され、さらに新曲も1つ含まれていた。エリゾンドは「全部スクラッチからやり直したよ」と語っている。『エクストラオーディナリー・マシーン』がリリースされると、本作はアメリカでのアップルのキャリア上、最も高い位置にチャートイン(初登場7位)する結果となり、アメリカ国内で46万と2千枚を売り上げてまたしてもゴールドディスクに認定され、グラミー賞の“Best Pop Vocal Album”部門にもノミネートされた。2005年の後半に顕示化したソニーとの確執は、もともとはアップルとブライオンがアルバムの再製作を求めていたことが発端だった。ソニーが製作中にいちゃもんをつけたと報じられていたが、実際はアップルが作業を中止していたのである。長い空白期間の後、彼女は親しい友人のケヒュー(彼はジョン・ブライオンの友人で、元ルームメイトでもあった)にアルバムの再製作を依頼することにした。さらにエリゾンドが製作助手として加わり、ブライオン/アップルとともにトラックの完成を目指し作業をはじめることになった。アルバムの製作中止がブライオンとアップルの不和から生じたという報道があったのにもかかわらず、彼らは定期的にロサンゼルスのクラブ Largoで共演し、アルバムの公式リリースが発表される直前にはエリゾンドが飛び入りすることさえあった。アップルは2005年の後半からアルバムのプロモーションのためのライブ・ツアーをスタートさせ、2006年の前半からコールドプレイの北米ツアーをサポートした。アルバムからは4枚のシングル:「パーティング・ギフト」「オー・セイラー」「ノット・アバウト・ラヴ」「ゲット・ヒム・バック」がリリースされた。2006年6月、アップルはコメディアンザック・ガリフィアナキスによるジョーク・ソング“Come over and Get It (Up in 'Dem Guts)”に客演している。ガリフィアナキスはアップルの「ノット・アバウト・ラヴ」のミュージックビデオに出演していた。このジョーク・ソングはアップルのこれまでの作品と歌詞/音楽の両面から一線を画すもので、アップルが“Baby, show me your fanny pack/I'll show you my fanny”と歌うラインをフィーチャーしたヒップホップ/ラップ/ダンストラックとなっている。アップルは2006年にリリースされるティム・バートン製作の映画『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』のサウンドトラック盤(スペシャル・エディション)のために「サリーの歌」のカバー・ヴァージョンを録音した。2006年5月19日にはVH1の番組 Decades Rock Liveにてエルヴィス・コステロのヒット曲“I Want You”を披露し、コステロに捧げている。othersアップルは菜食主義者で、PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)の支援者でもある。1997年にはPETAのホットラインを通じて感謝祭での七面鳥の扱いについての彼女の考えを伝えるメッセージが記録されている。電話でターキーの調理法についての情報を得られるバターボール・ターキー・ホットラインについて彼女は「このような美しい鳥たちを殺し、調理する方法を提示するのが正常な行為とは思えません」と訴えている。彼女は続けて「何百万という人々が菜食主義によるダイエットが自分たちにとって、さらには地球やそこで生きる動物たちにとっても健全な選択であるということを学んでいます」とも語っている。このスタンスはサタデー・ナイト・ライブにて“Basted in Blood”を歌ったサラ・マクラクランに影響を受けたものだといわれている。アップルはマジシャンのデヴィッド・ブレイン、映画監督のポール・トーマス・アンダーソンと交際歴がある。"Never Is A Promise" は初期のツアーでは毎晩演奏していたが、あまりにもパーソナルな内容の曲で毎日演奏するのは辛く、演奏中泣いてしまうため、披露しなくなった。 マリリン・マンソンやデイヴ・ナヴァロ(デイヴ・ナヴァロはフィオナの楽屋の壁に血染めのラヴレターを書いた。)は彼女に夢中になり、フィオナに想いをよせたが、成就しなかった。マリリン・マンソンは彼女の小鹿のような痛々しい雰囲気に萎えたと後に語っている。 『真実』リリース時、日本のレコード会社はプロモーションに力を入れ、渋谷の109の大看板や、電柱などにフィオナの写真が登場した。また、雑誌等各種メディアに頻繁に特集を組まれていた。(逆に1stリリース時、日本のメディアはほとんど反応しなかった。) 当時付き合っていたポール・トーマス・アンダーソン監督の映画『マグノリア』は彼からフィオナに捧げた映画で、エンドロールの最後に "For F A" と表記され、劇中にフィオナが描いた絵が頻繁に使われている。また、逆にフィオナの2ndアルバム『真実』のブックレットの最後に "PTA" と表記されている。 フランスで人気があるのにフランスがあまり好きではないらしい。(2000年来日時のUDOレポート) 大の飛行機嫌いで、2000年の日本ツアーの時点では海外の国でライヴを行ったのは日本だけだった。(フィオナ自身が日本に興味があり、なにか日本から感じるものがあったことから、本人の希望で実現した。) 2000年の来日時、当時日本で流行っていたインスタントカメラ・チェキにハマり、頻繁に撮りまくっていた。 2000年の日本ツアーでは、ライヴ後、ファンからピカチュウの大きなぬいぐるみをプレゼントされ、メディア等では冷たいイメージのフィオナが素に戻り、ぬいぐるみを抱いて大喜びし、"年頃の女の子"の一面を覗かせていた。 日本人アーティストのChocolatは彼女の大ファンで2000年の来日時、楽屋に会いに行き、ハグしてもらったが、ビール臭かったらしい。 フィオナはピーター・フォークと刑事コロンボの熱狂的ファンである(実際、2000年代前半の潜伏期間、NYのママのアパートで、スウェットを着て毎日家で刑事コロンボの再放送を見る生活をしていた)。トークショーのホスト、カーソン・デイリーは2006年6月の彼の番組にフィオナが出演した際、ピーター・フォーク直筆によるスケッチを彼女にプレゼントしている。 フィオナは2006年のツアー中に、自身の強迫神経症との闘いについて告白している。 フィオナは子どもの頃から昆虫が大好きで、大人になっても変らずに昆虫を愛しているという。『エクストラオーディナリー・マシーン』ツアー中のインディアナポリスで、ある曲の間奏中に見つけたバッタに心を奪われてしまい、パフォーマンス中ずっとそのバッタを追いかけ回し、観客にまでその昆虫の種類について聞いていたそうだ。 『エクストラオーディナリー・マシーン』ツアー中のシカゴでは「蚊の大虐殺(mosquito massacre)」を実行している。 『エクストラオーディナリー・マシーン』ツアー中のボストンの観客に対し「ボストンを訪れると故郷に帰ってきたような気持ちになる」と語っている。