Kate Bush
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再生曲一覧
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Wuthering Heights
Running Up That Hill (A Deal With God)
Cloudbusting
Hounds of Love
Babooshka
Babooshka - 2018 Remaster
This Woman's Work
Suspended in Gaffa
The Man With the Child in His Eyes
And Dream of Sheep
Sat in Your Lap
Mother Stands for Comfort
Army Dreamers
The Sensual World
Under Ice
Jig of Life
Watching You Without Me
Waking the Witch
The Big Sky - Special Single Mix
Moving
There Goes a Tenner
Pull Out the Pin
Hello Earth
The Morning Fog
The Dreaming
Oh to Be in Love
Night of the Swallow
The Big Sky - 2018 Remaster
Get Out of My House
L'Amour Looks Something Like You
Strange Phenomena
Leave It Open
The Saxophone Song
Them Heavy People
All the Love
Wow
James and the Cold Gun
Houdini
Kite
Love and Anger
The Fog
Feel It
Kate Bush
13 rooms
詳細
ケイト・ブッシュ(Kate Bush, 1958年7月30日 - )はイギリスの歌手、作詞・作曲家。《来歴》ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアに見出されレコードデビューに至った。それ以前、自分で売り込んだ際はレコード会社からは見向きもされなかった。デビュー当時はアイドル的な見方もされたが、高い歌唱力をベースに高音から低音まで様々な声質を使い分け、トータルで独自の世界を展開するアーティストとして評価を得た。ステージで歌唱する際はダンスやパントマイムなどの体技を交え、一種のパフォーマンスを展開することが多い(シャイな性格のため、と言われる)。早い時期から凝った内容のプロモーション・ビデオも制作しており、音楽とビジュアルの融合にも意欲を見せていた。完成度の高い作品を志向しているためか、割合に寡作なミュージシャンである。レコードジャケットに東洋風の絵柄を用いるなど東洋の文化への興味が強いと言われる。1978年の東京音楽祭に出演するため日本を訪れたが、それ以後は来日の経験はない。諸説あるが飛行機による長旅を嫌っているのが一因らしい。日本では日本テレビの番組『恋のから騒ぎ』のオープニング・テーマ曲に彼女の曲「嵐が丘」が長年使われてきていることから広く知られている。ケイト・ブッシュ(本名:キャサリン・ブッシュ)は1958年7月30日に英・大ロンドン(Greater London)ベクスレー区のベクスリーヒース(Bexleyheath)の比較的裕福な家庭に生まれた。父親ロバートは医師で、母親ハンナはアイルランド系の元看護師。ケイトが音楽に興味を持ち始めたのは1968年頃のこと。一年間のオーストラリア移住から英国に戻ったケイトは、その頃から父ロバートに就いてピアノを習い始める。またグラマー・スクールに通う頃になると、ケイトは多くの詩を書き始め、同時にヴァイオリンや聖歌隊のレッスンにも励み、自らの芸術的な感性を磨いていった。1974年、音楽の道に本格的に進むことを決意したケイトは、学校を中退し、ビリー・ホリデイやジョニ・ミッチェルなど自分のアイドルに憧れながら音楽作りに専念。1975年には兄パディ達とともにバンドを結成し、パブにも出演するようになった。1976年、ロンドン郊外のフラットに移り住んだケイトは、アダム・デューリアスによるマイムを教えるクラスへ入り、更にはリンゼイ・ケンプのもとに弟子入り。デビューの準備期間ともいえるこの時期をケイトは約1年に渡って過ごし、1977年に満を持してアーティストとして初の本格的なレコーディングに入った。なお、この時期にマイムのスクールでザイン・グリフ、デヴィッド・ボウイらと交流し、その後グリフのアルバムにも参加している。1977年11月、エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』のTVドラマを見て作ったシングル『嵐が丘』 (Wuthering Heights)”でデビュー。全英4週連続一位を記録、同曲を収録したデビュー・アルバム『天使と小悪魔』 (The Kick Inside)も40万枚というセールスとなり、一躍大きな注目を集めた。その後1978年に2ndアルバム『ライオンハート』 (Lionheart)を発表するも仕上がりが1枚目と同じく気にいらず、自分も裏方の仕事であるプロデュースをしなければと決心する。この後、西ヨーロッパでツアーを行い(映像ソフトがその後1981年に発売)、1980年の3rdアルバム『魔物語』 (Never For Ever)では共同プロデュース、1982年に『ドリーミング』では録り直しをして膨大なレコーディング費用がかかりレコード会社から嫌がられた事もあったが単独プロデュース、1985年『愛のかたち』 (Hounds Of Love)も自分でプロデュースをこなした。1986年には初のベスト・アルバム『ケイト・ブッシュ・ストーリー』 (The Whole Story)を発表。またこの間にはピーター・ガブリエルやロイ・ハーパーなど英国の奇才ミュージシャン達との交流もあった。ベスト盤という区切りの後に彼女の新章を告げた作品が1989年発表の『センシュアル・ワールド』。これで初めてUSAでメジャーになった。ここでケイトはブルガリアン・ヴォイスの一員だった女性アンカ・ラプキーナ率いるトリオ・ブルガルカと共演。ボックス・セットの発売やエルトン・ジョンのトリビュート盤『トゥー・ルームス~エルトン・ソングス』への参加を経て、次の彼女自身のオリジナル・アルバム『レッド・シューズ』が発表されたのが1993年のこと。ジェフ・ベックやエリック・クラプトン、プリンス(同い年のミュージシャン)などが参加した話題作だったが、母の死によってリリースが1年延びたものでもあった。 アルバムは全英2位と好セールスを記録し、シングル・カットされた曲もそれぞれヒットした。しかし、このアルバム以降のケイトはトリビュート作やチャリティ・アルバムへの参加、他アーティストの作品へのゲスト参加などはあるが、自身の作品をリリースすることなく90年代を終えた。『レッド・シューズ』以降、オリジナルの新作が発表されないまま長い時間が経過し、ファンが待ち望む中で幾度か新作発表の情報が流れては消えた。ようやく新作の2枚組アルバム『Aerial』(エアリアル)が店頭に並んだのは、前作から12年ぶりとなる2005年11月7日(日本発売は2日)のことだった。第一弾シングル『King of the Mountain』も英チャート4位にランクインし、ファンはまだ彼女を忘れていなかったようだ。新作では休止期間中の1998年に生まれた息子アルバート(ケイト達はバーティーと呼んでいる)のアートワークをフィーチャーする一方で、これまでになくやわらかい空気にあふれた世界を作り上げている。《ディスコグラフィ》1978年 THE KICK INSIDE(天使と小悪魔)1978年 LIONHEART(ライオンハート)1980年 NEVER FOR EVER(魔物語)1982年 THE DREAMING(ドリーミング)1985年 HOUNDS OF LOVE(愛のかたち)1986年 THE WHOLE STORY(ケイト・ブッシュ・ストーリー)1989年 THE SENSUAL WORLD(センシュアル・ワールド)1990年 THIS WOMAN'S WORKS(ディス・ウーマンズ・ワークス)1993年 THE RED SHOES(レッド・シューズ)2005年 AERIAL(エアリアル)2011年 DIRECTOR'S CUT(ディレクターズ・カット)2011年 50 Words For Snow(雪のための50の言葉)