広瀬香美
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ロマンスの神様
promise
Groovy!
ゲレンデがとけるほど恋したい
愛があれば大丈夫
広瀬香美
13 rooms
詳細
広瀬 香美(ひろせ こうみ、1966年4月12日 - )は、日本のシンガーソングライターである。本名は米光 麻美(よねみつ まみ)。福岡県筑紫郡太宰府町(現・太宰府市)出身。血液型O型。ビクターミュージックアーツ所属、ビクターエンタテインメントと契約。芸名の「香美」は「call me」をもじって自ら命名。尊敬する音楽家はデイヴィッド・フォスター。元夫は俳優の大沢たかお。4歳からピアノ、そして5歳から作曲を習い始める。福岡女学院中学校・高等学校(音楽科)卒業。幼少期から和声学などクラシック音楽の作曲法を学ぶ。第一号作品を作曲したのは6歳で、タイトルは『パパとママ』である(この曲は2001年~2002年に行われた自身初のコンサートツアーで弾き語りにより披露された)。 初めて買ったレコードはバッハの『マタイ受難曲』。この作品には作曲法が詰まっていて作曲のルールを身につけるための勉強になるからという先生からの教えで、夕食中などにも聴き続けていた。小中学生の頃が自身の作曲家人生のピークだったと本人が語っている。日夜、夢の中でもひたすらメロディを考え頭の中に浮かべ続けていたという。新しいメロディが浮ぶとその場ですぐ紙に五線譜を書いてメモを取っていた。広瀬香美の作品として発表している楽曲の中にこの当時に作成したメロディを使っていることも多い。当人の楽曲になぜメロディの起伏が激しいものが多いかというと、元々人が歌うためのものではなくピアノやバイオリンなど楽器のために書いていた曲だったからである。中学、高校生時代にはよく通学中に作曲していたという。『ロマンスの神様』のサビ以外の部分は井尻駅前バス停で、『愛があれば大丈夫』のサビは六ツ角歩道橋の上で作られた。高校時代の友人を訪ねに遊びに行くためにロサンゼルスに旅立った。そこでマイケル・ジャクソンやマドンナのライブを見て感激し、ポップ・ミュージックに目覚める。自分が書き溜めてきたクラシックの楽曲を編曲してマイケルが歌ったら売れるのではと考え、マイケル・ジャクソンに曲を提供しようという夢が生まれた。広瀬自身はこの夢を持ち続けていたが、2009年6月26日(日本時間)マイケルの他界により、本人と直接会うことも叶わなかった。ポップ・ミュージックの勉強をしながらLAに滞在していた時に、マイケル・ジャクソンのヴォイス・トレーナーであるセス・リグス氏のオーディションを受ける。そこでマイケルに少しでも近づくため、作曲やプロデュースの勉強をさせてくれないかと直訴した。結果、歌ものの曲を書きたいのならボーカルトレーニングも受けておくことを勧められ、東洋人で初めての合格者となり約3年間師事する。トレーニング修了後、ロサンゼルス在住の日本人ギタリスト平野T.J.ヨーイチ氏と出会い、デビューに向けてデモテープを制作した。帰国後の1992年7月、アルバム『Bingo!』でビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)からデビュー、同年12月には、1stシングル『愛があれば大丈夫』をリリースした。翌年1993年のアルペンCMソングになった3rdシングル『ロマンスの神様』はオリコンチャートで170万枚を越える大ヒットとなりブレイク。それ以降、『幸せをつかみたい』『ゲレンデがとけるほど恋したい』『promise』等、数々のヒット曲を生み出す。冬にヒットする曲が多いことから『冬の女王』とも呼ばれているが、広瀬本人にはそう言った自覚は全くないらしい。「なぜなら、(ヒットした曲が多い)アルペンのCMソング等は実は夏に書いているから」と語った。ちなみに夏の曲も書いており、シングル『夏だモン』や広末涼子に提供した『summer sunset』などがある。現在は「冬の女王」という呼称にさほど抵抗はないように見える。ただ、これだけ冬の歌を多く書きながら、クリスマスにライブを行ったのは、2005年の広島郵便貯金ホールで行われた招待制の無料ライブと、2007年のコンサートツアー「香美別邸」恵比寿ガーデンホール公演、そして2008年の「Premium meets Premium 2008」浜離宮朝日ホール公演の3回である。ハイトーンで音域が広く、声量のある歌唱力で、ソングライターとしても評価が高い。その歌唱力から、普通の声量・音域の人がカラオケで歌うのは非常に大変だが、本人も酒を飲んだりしてコンディションが悪い時には、自分の歌が歌えなくなるとの事である。ちなみに、広瀬本人も大のカラオケ好きであり、2007年の全国ツアー「GIFT+♪幸せは冬にやってくる♪」ではDAM(第一興商)との連動企画を実施。ツアー最終日の3月24日渋谷C.C.Lemonホール(渋谷公会堂)公演にて、課題曲「サプライズ未来」(アルバム「GIFT+」収録曲)のランキングバトルで全国1位を獲得した人と「ロマンスの神様」で採点対決を行った。結果は広瀬の勝利で、本人は非常に喜び満足していた。1999年3月、映画『ゲレンデがとけるほど恋したい。』をきっかけに知り合った俳優の大沢たかおと結婚したが、2006年11月28日に離婚が報道され、同日公式サイト上に「広瀬香美からのお知らせ」として「結婚生活に終止符を打つ事にいたしました」と離婚に関してのコメントを掲載した。その後2008年10月28日、公式サイト上に「皆様へのご報告」として「私、広瀬香美は2008年10月12日に結婚いたしました」と、一般企業に勤める米国人男性との再婚を発表した。再婚後も音楽活動は継続する。現在は精力的に音楽活動を展開しており、ドラマ・映画・ミュージカルの音楽監督、多くのアーティストへの作品提供及びプロデュース等を手がける。またヴォイストレーナーとしても、1999年10月に設立し自らが校長を務めるヴォーカルスクール「Do Dream」において、生徒の指導にあたっている。また近年はライブ活動も積極的で、例えば2006年2月に東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアルで行われた「広瀬香美 presents HAPPY VALENTINE CONCERT with 東京フィルハーモニー交響楽団」において、自らオーケストラの演奏指揮を執りながら歌う、などといったユニークな試みも随所に見られる。親交のあった勝間和代の勧めにより、2009年7月19日にTwitterのアカウントを取得。同年7月22日、Twitterの頭文字を使ったロゴの「t」を「ヒ」と勘違いしていたことをきっかけに、「Twitterの源氏名をヒウィッヒヒーとする」と投稿。Yahoo!Newsにも取り上げられるほどの話題となり、当日フォロー数が1万を超えた。それ以降も、「土星は枠があるから惑星だと思っていた」や選挙の投票方式の「比例代表」を「金比羅」と読むなどのいわゆる天然ボケ的な発言をすることが時折ある。