お嫁サンバ

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Gold Finger '99

郷ひろみ

13 rooms
郷 ひろみ (ごう ひろみ、1955年10月18日 - ) は、日本の歌手、俳優である。本名、原武 裕美 (はらたけ ひろみ) 、男性。福岡県出身 (東京都育ち) 。バーニングプロダクション所属。父は福岡県三潴郡三潴町出身、母は福岡県糟屋郡志免町出身。生後まもなくジフテリアにかかり、3歳で赤痢にかかり、15歳で腹膜炎の一歩手前の状態で盲腸の手術を受けるなど、何度となく病にかかる。子供の頃は可愛くて評判だった。「『名犬ラッシー』の子役にそっくり」、「お人形さんみたい」と言われ、外国人と間違われることも多い美少年だった。スパルタ教育の母親に厳しく躾けられて育った。「あなたは赤が似合う」という母の薦めで、赤いシャツを着用することが多かった。デビューのきっかけは、15歳の時、近所のおばさんが東宝映画『潮騒』の出演者募集に応募した。審査会場のある銀座で買い物がしたいという安易な気持ちでオーディションを受けることを決めたが、会場に向かう途中で怖気づき「やっぱりやめる」と母親に告げたところ「それでも九州男児か!」と数寄屋橋の交差点で平手打ちをされ、致し方なく会場に赴いたという。オーディションは不合格になるが、審査員として参加していたジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川の目に留まりスカウトをされた。1971年、フォーリーブスのバックダンサーとして出演して多くのファンを獲得する。芸名は、ファンからの声援「レッツゴーひろみ」から借名して郷ひろみになり大阪でファンクラブ発足する。1972年1月、NHK大河ドラマ『新・平家物語』に平清盛の弟、経盛役で俳優デビュー (現在までNHK大河ドラマ合計4作品に出演) する。  8月1日、CBSソニー (現、ソニー・ミュージックエンタテインメント) 所属の歌手としてデビューする。 9月25日、デビュー曲「男の子女の子」がオリコン週間チャートのベストテン入り。11月、第14回日本レコード大賞新人賞を受賞する。1973年、ブロマイド年間売上実績No.1となり、西城秀樹、野口五郎と共に新御三家と呼称され、トップアイドルの仲間入りを果たす。 12月31日、第24回NHK紅白歌合戦に初出場し、前年のデビュー曲「男の子女の子」を歌う。以後1985年まで13年連続出場する。1974年10月28日、初主演テレビドラマ『ちょっとしあわせ』の主題歌「よろしく哀愁」で、自身初のオリコン週間チャートの第1位を獲得する。1975年、バーニングプロダクションへ移籍する。1976年、『さらば夏の光よ』で映画初主演する。 第18回日本レコード大賞大衆賞を受賞する。1977年、テレビドラマ『ムー』出演でコミカルな一面が注目され、再びブロマイド年間売上実績が男性部門でNo.1となる。 郷の特徴に良く似た人形を販売する業者を、肖像権侵害で民事提訴する。史上初の有名人が人形に関する肖像権訴訟であり、1980年5月、勝訴和解する。1978年8月10日、主演したTBSドラマ『ムー一族』の挿入歌「林檎殺人事件」が『ザ・ベストテン』で自身初の第1位を獲得する。 1979年、『明星』「アイドル人気投票」で7年連続で1位獲得し、日本テレビ音楽祭トップアイドル賞を受賞する。「目先のことに一喜一憂することなく、長期的な視野にたって、自分自身のことについて考えたい。」として日本レコード大賞など音楽賞の出演を拒否する。1985年11月、翌年3月以降芸能活動を休止して渡米を告知する。 12月、バラエティー番組の企画でホノルルマラソン完走する。1986年3月、芸能活動を休止し単身ニューヨークへ、1年弱滞在する。1987年6月12日、二谷友里恵と結婚する。披露宴をフジテレビが『おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴』と題して大々的に中継し、霊南坂教会とシドニーのセントメリーズ教会で挙式して新居をニューヨークに構える。1989年、ニューヨークの住居を引き払い日本に帰国。1993年、ハリウッド映画『Samurai Cowboy』に主演する。1993年1月、楠瀬誠志郎のバラードカバー曲「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」 を発売すると、最高位43位ながらジワジワと売り上げを重ね、「2億4千万の瞳」以来9年ぶりにヒット曲(17.7万枚)となる。これをきっかけに翌1994年「言えないよ」、1995年「逢いたくてしかたない」と続けてオリジナルのバラードを発売し、いずれもロングヒットを記録。1997年2月11日、名古屋御園座『愛・時をこえて ドラキュラ・イン・ジャパン』座長公演で、昼の公演中にステージ上約3メートルの仕掛けから転落し、右手骨折と肋骨骨折など全治約1か月半の重傷を負うが、そのまま続行して演じ終える。 9月、日本武道館でデビュー25周年公演を開催する。1998年4月9日、離婚発表と同時に、その経緯を告白本『ダディ』として出版し、ミリオンセラーになる。1999年、リッキー・マーティンの「Livin' La Vida Loca」をカバーした「GOLDFINGER '99」が「逢いたくてしかたない」以来4年ぶりのヒット曲となる。 8月、「GOLDFINGER '99」のプロモーションとして、JR渋谷駅前交差点にトラックを停車させて無許可でゲリラライブを敢行し、交通渋滞を引き起こして刑事事件になる。 11月7日、ニューヨークシティマラソンを完走する。2000年、道路運送車両法違反のため、警察署に出頭する。 9月27日、元恋人松田聖子とのデュエット曲をリリースする。同時に再婚も発表。 11月9日、NY在住の投資家大根田勝美の娘でアルマーニショップ店員の大根田名美と再婚する。NYフォーシーズンズホテルにて近親者だけで挙式する。2001年12月、『第52回NHK紅白歌合戦』への出演を最後として音楽活動を一時休止し、再びニューヨークに移住する。2004年12月6日、二谷友里恵に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円を信託銀行に預託するとの取り決めを実行していないことや、郷が娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして訴訟を起こす。 2010年10月18日、55歳誕生日に2度目の日本武道館公演「55!伝説」開催する。これは1955年生まれ、55歳、全国ツアー55公演目のファイナルステージである。 12月4日、フジテレビ系『FNS歌謡祭』に出演しAKB48と競演したシーンが高視聴率をマークした。 12月31日、9年ぶりに第61回NHK紅白歌合戦に出場。「GO!GO!イヤー紅白スペシャルメドレー」と題して「愛してる」「僕らのヒーロー」「男願 Groove!」の3曲を披露した。2012年3月31日、徳武定祐の次女で元タレントの女性と入籍したことを自身のオフィシャルサイト内に直筆のメッセージを掲載し、明らかにした。2013年12月、第64回NHK紅白歌合戦に4年連続26回目の出場を果たし健在ぶりをアピールした。2013年1月19日、結婚発表から約10か月を経て、芸能関係者ら約400人を招いた結婚披露宴を帝国ホテルで行った。その前に2012年10月下旬、ハワイにて二人だけで挙式している。2014年6月、双子を6月に出産。体重が2人合わせて5500g、ゴーゴーと話題になる。名前は「兄(けい)」と「陸(りく)」。*社会貢献にも積極的。1995年からチャリティー活動を実践し、アジアの子供達のために寄付を続け、フィリピンにおいて4つの学校建設に貢献した。2007年5月放送の日本テレビ『トシガイ』(自分の年齢の数だけ (51歳×1万円) お金を好きなものに使えるという番組企画) を通じて自身が学校建設に貢献したフィリピンを初めて訪問し、子供たちから歓迎を受ける。51万円でフィリピンの子供たちに文房具、Tシャツなどをプレゼントした。「これからもライフワークにしていきたい。」と語った。