おニャン子クラブ
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セーラー服を脱がさないで
じゃあね
およしになってねTEACHER
アレレレ
KISSはMAGIC
好きになってもくれない
会員番号の唄
避暑地の森の天使たち
Like a Cherry Boy
アンブレラ・エンジェル
FENを聴かせて
シーサイド・セッション
おニャン子クラブ
13 rooms
詳細
おニャン子クラブ(おニャンこクラブ)は、1985年、フジテレビのテレビ番組『夕やけニャンニャン』から誕生した、女性アイドルグループである。デビューした1985年4月から解散までの1987年9月の2年半、男子中高生を相手に人気を博した。結成当初は、『夕やけニャンニャン』番組内にて、司会を務めるお笑い芸人達の番組進行をアシストする立場であった。どこにでもいそうな素人レベルの女子高校生を中心に多数集めたグループ(初期メンバーだけを見ても、国生さゆりと名越美香、福永恵規、河合その子、内海和子、立見里歌、高井麻巳子は、既に高校を卒業しており、実際は女子高生だけのグループではなかった)は、それまでのアイドルとは異なる魅力で、当時の中高生男子の間に爆発的な人気をもたらした(この手法は、当時女子大生を中心に活動していたオールナイターズを女子高校生版にしたもの)。その人気は、当時の女子高校生ブームの中核ともなった。(この素人らしさやクラブ活動感覚の活動手法は、後にAKB48に受け継がれることとなる)必ずしも歌の上手い者やダンスの上手い者、美少女にはこだわらず、芸能人ではなくあくまで普通の女の子というコンセプトで、番組よりも学業を優先させるなど、その素人らしさと親近感が、放課後の女子校感覚や部活動感覚、バイト感覚、クラブ活動感覚をイメージさせ受けたとも言われる。メンバーを続々とソロデビューさせたり、毎週開催される番組内のオーディションなどにより、継続的にメンバーを追加したりするなど、独自の展開がアイドルの新たな売り方を示した。ソロメンバーだけでなく、うしろゆびさされ組やニャンギラス、うしろ髪ひかれ隊などのグループ内ユニットも輩出し、一時は毎週のようにオリコンチャートを独占した(1986年のシングル1位獲得46曲中、おニャン子クラブ関係が30曲。52週中の36週)。おニャン子クラブのメンバーは、基本的に芸能事務所に属さない一般素人を、毎週行われる番組内の簡単なオーディションで選出していた。オーディション合格後も、一部芸能事務所に所属していたメンバーを除いて、大部分のメンバーは、フジテレビ局預かりの芸能事務所無所属の正真正銘の素人集団であった。その為、大部分のメンバーが番組終了と同時に解散したおニャン子クラブと共に、一般の社会に戻り、芸能活動が続行出来たのは、その時点で芸能事務所に所属していた者に限られた。老舗の渡辺プロダクションや新興のボンド企画やプロダクション尾木、バーニングプロダクションはタレントを送り込んだが、スター誕生!の項目で触れている通り、既に素人オーデション番組に見切りをつけていたホリプロや、サンミュージックなどは、タレントを送り込まず、対応が分かれる結果となった。 また、「会員番号制」という独特の要素を取り入れたアイディアは、モモコクラブの「桃組出席番号」をそのまま取り入れたとも言われる。1980年代のバラエティ番組で好感度を上げていく手法はわらべと共通したものがあった(『夕やけニャンニャン』の“ニャンニャン”はわらべのメンバーが起こした騒動から引用したと言われている)。1987 年6月15日放送の『夕やけニャンニャン』で解散を発表し(番組は同年8月31日で終了)、9月20日の代々木第一体育館におけるコンサートにて解散。その後もテレビ番組の企画などで一時的な再会はあったものの、2002年、初期メンバーのうち賛同者のみの14名によって一時的に再結成し、シングル「ショーミキゲン」をリリースした。リリース後にはイベント・テレビ出演なども果たし、中でも2002年12月 5日放送の『2002FNS歌謡祭』では、後期メンバーを含めて「ショーミキゲン」「セーラー服を脱がさないで」を歌唱した。また2010年にはテレビCF上で11名のメンバーが再結成し、セーラー服を脱がさないでのサビを俳優・伊藤淳史とともに歌い踊り、アラフォーになったおニャン子クラブの姿を披露した。