光GENJI
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光GENJI
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光GENJI(ヒカルゲンジ)は、1980年代終盤から1990年代前半に活動していたローラースケートを履いて歌い踊る男性アイドルグループ。ジャニーズ事務所所属。1987年6月25日に、「GENJI」と「光」の2つのグループが合体されて結成。1995年9月3日解散。グループ名は『源氏物語』の主人公・光源氏に由来する。また、結成当初には「ライト・イン・シャドウ」というグループ名でも呼ばれていた。人気と売上のピークはデビュー直後からの3年程度だったが、後輩のSMAPやV6、KinKi Kidsが着実に成長して人気を得て台頭するまでの期間、1989年 - 1990年代前半のアイドル冬の時代において苦難の時代を過ごしていた当時のジャニーズ事務所の稼ぎ頭となり、近藤真彦以来の人気を博し、SMAPがブレイクする90年代後半まで活躍した。光 (元・「イーグルス」のメンバー)内海光司(うちうみ こうじ、1968年1月11日 - ) 大沢樹生(おおさわ みきお、1969年4月20日 - )(リーダー) GENJI諸星和己(もろほし かずみ、1970年8月12日 - ) 佐藤寛之(さとう ひろゆき、1970年11月2日 - ) 山本淳一(やまもと じゅんいち、1972年2月28日 - ) 赤坂晃(あかさか あきら、1973年5月8日 - ) 佐藤敦啓(さとう あつひろ、1973年8月30日 - ) 光GENJI SUPER 5内海光司 (リーダー) 諸星和己 山本淳一 赤坂晃 佐藤敦啓(現・佐藤アツヒロ) SAY・S (内部ユニット)佐藤寛之(リーダー) 山本淳一 赤坂晃 佐藤敦啓(現・佐藤アツヒロ) AKIRA & KOHJI (内部ユニット、別名「とんがりーず」、1994年結成。)赤坂晃 内海光司 「GENJI」元メンバー田代秀高 (GENJIの結成メンバー。MBS『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』にレギュラー出演し、「今、君と歌いたい」という曲を毎週歌っていた。 まもなくして赤坂晃と交替で脱退。 元々は、1986年5月にジャニーズ事務所に入り、「桜隊」のメンバーとして活動していた。ジャニーズ退所後は、太平サブロー・シローと同じ事務所へ移籍した。) 1987年3月に、諸星・寛之・山本・敦啓・田代の5名で「GENJI」を結成。同年4月5日より、MBSの視聴者参加の歌合戦番組『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』のレギュラーになる。 この番組のオープニングで、初のオリジナルソング「今、君と歌いたい」を毎回披露していた。まもなくして、田代が赤坂と交替。 同年の来日ミュージカル『スターライト・エクスプレス』のキャンペーンに合わせ、同年6月25日に、既存グループだった5人組の「GENJI」と、元・イーグルスの2人による「光」の2つのグループを合体して、「光GENJI」が結成された。 同年8月19日にポニーキャニオンから『STAR LIGHT』でレコードデビュー。その時のキャッチコピーは、“超新星からのメッセージ”だった。 光GENJIの登場、人気爆発は社会現象として一般紙にも取り上げられ、ファンクラブの会員数は、50万人にも及んだ。ローラースケートを履いてのパフォーマンスが話題となり、全国の小中学生の間にローラースケートを流行させた。 光GENJI ローラーパニックとしてファミコンソフトにもなっている。 初期のジーンズの短パンなど半裸に近い衣装が印象的で、歌の途中で上半身の衣装を脱ぎ捨てるパフォーマンスに、『ザ・ベストテン』の司会者・黒柳徹子が思わず目を覆ったという話がある。 振り付け、特に初期の楽曲は大変に激しかったため発汗の量が尋常ではなく、下着を日に二回は取り替えねばならなかったということが『ザ・ベストテン』の司会者・黒柳徹子によって番組中で語られている。 メンバー全員バク転が出来る。光GENJIの人気爆発とともに、当時の全国の小中学生のあいだでバク転が流行した。 メンバーのイメージカラーは、内海光司=青、大沢樹生=紫、諸星和己=ピンク、佐藤寛之=水色、山本淳一=赤、赤坂晃=緑、佐藤敦啓=黄色。佐藤敦啓・赤坂晃・山本淳一・佐藤寛之の4人から成る“SAY・S”(セイズ)という内部グループがある。グループ名は佐藤敦のS・赤坂のA・山本のY・佐藤寛のSで、4人の頭文字からである。 1988年(昭和63年)には『パラダイス銀河』『ガラスの十代』『Diamondハリケーン』がオリコン年間シングルチャートの1・2・3位を独占するという、1978年(昭和53年)のピンク・レディー以来の大ブームを巻き起こした。デビューしてから1年間ほどは、80年代のアイドルブームの波に乗り、高い人気を獲得した。特に『パラダイス銀河』の頃はその人気の絶頂で、歌番組に出演した際はファンの大歓声により、司会キャスターの声が掻き消されるほどまでになっていた。聖飢魔IIも同時に出演した際にデーモン小暮は、『ワッハッハッハッハ、お前らのせいだぞ』と笑いながら言っていた。 1988年1月に発売したビデオ『太陽がいっぱい 光GENJI』は約30万本を販売し、当時日本のビデオソフトとして最大の売り上げを記録した。 1988年、「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。同曲は翌年に開催された第61回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも使われた。 1988年から1992年(平成4年)まで、『ミュージックステーション』にレギュラー出演していた。総出演数は234回と、歴代アーティストの中でトップである。 1992年JOC日本オリンピック委員会広報アドバイザーに任命され、「リラの咲くころバルセロナへ」をリリース、また1994年には「BRAVO!Nippon~雪と氷のファンタジー~」をリリース、バルセロナ五輪、リレハンメル冬季五輪の日本におけるオリンピックの盛り上がりに貢献した。 1994年8月31日に大沢樹生・佐藤寛之が脱退し「光GENJI SUPER 5」にグループ名を変更する。 解散コンサートの2日前、かつてレギュラー出演していたミュージックステーションに出演する(光GENJI SUPER 5として最後のTV出演となる)。スタジオにファン数百人を入れ、歴代のシングルメドレーを披露し、最後に『Graduation』を熱唱(この「Graduation」は「ガラスの十代」のc/w曲で、卒業を意味する)。曲の終わりに、メンバー全員がローラースケートを脱いで、ステージ中央に置いた。 1995年9月3日、名古屋レインボーホールでのライブを最後に解散する(なお、公の場では“解散”ではなく“卒業”と表現・表記している。また、この名古屋のライブは、当時展開していた全国ツアーの最終日にもともと組まれていたもので、最初から「解散コンサート」と設定されていたわけではない)。この解散コンサートのチケットには、最高で100万円もの値が付き、またそれが実際に売れたという逸話がある。 現在、CHAGE and ASKA(特に飛鳥涼)が提供した『STAR LIGHT』『ガラスの十代』『パラダイス銀河』など、全盛期の名曲は、後輩に歌い継がれているのみならず、ブラスバンドの定番楽曲となり、高校野球の応援や官公署の祝い事などで演奏されることも多い。 デビューから解散までのCD売上は、シングル総売上29タイトル計1530万枚、アルバム総売上29タイトル計880万枚、ビデオ総売上15タイトル計320万本、コンサート動員数は、539公演計333万6594人動員である。2002年に発売されたファン投票による上位30曲を収めた(30位が同一票だったため31曲収録になった)「光GENJI ALL SONGS REQUEST」では、諸星作詞作曲プロデュースによる「2.5.7」が1位になった。メンバー全員の自己紹介を歌にしたもので、この楽曲を最初に収めたアルバム「WELCOME」が発売されて以来、ファンから最も高く支持されている。 ジャニーズ事務所タレントとの関係年長の2人(元イーグルス)を「光」、残りの5人を「GENJI」と分けるグループ内ユニットの存在が特徴的で、このスタイルは後輩のV6(20th Century・Coming Century)、Hey! Say! JUMP(Hey! Say! BEST・Hey! Say! 7)、B.A.D.BOYS(B.A.D.・BOYS)に引き継がれた。 後にSMAPとして活躍するメンバーを含む「スケートボーイズ」というグループが、初期のバックダンス、およびスケボーのパフォーマンスを担当していた。 1988年12月31日放送の『NHK紅白歌合戦』で、光GENJIが「メドレー~ガラスの十代~パラダイス銀河~Diamondハリケーン~剣の舞~」を披露した際にも、SMAPはバックダンス、スケボーパフォーマンスで登場している。 更に翌1989年の紅白歌合戦には、コーラスとして参加している。 『剣の舞』や『地球をさがして』に登場したバックダンサーグループ「平家派」には、野口隆史(後の反町隆史)、坂本昌行、長野博、城島茂、山口達也、国分太一、井ノ原快彦らが在籍していた。 『勇気100%』を紅白歌合戦で歌った時は、TOKIOがバックでローラースケートを滑っていた。またこの楽曲は2002年からはジャニーズの後輩のYa-Ya-yahに『新・勇気100%』として受け継がれている(同時に『忍たま乱太郎』の主題歌も交代)。ローラースケートを用いたパフォーマンスは、K.K.Kity、Kis-My-Ft.2が受け継いでおり、『パラダイス銀河』など光GENJIの代表曲を歌う時に、ローラースケートを履いている。