ワインレッドの心

悲しみにさよなら

じれったい

好きさ

Friend

熱視線

プルシアンブルーの肖像

月に濡れたふたり

マスカレード

蒼いバラ

夢のつづき

ラスベガス・タイフーン

萠黄色のスナップ

アトリエ

安全地帯

13 rooms
安全地帯(あんぜんちたい)とは、1973年に北海道旭川市で結成されたロックバンドである。メンバーは何度かの変遷を経て、現在の5人に定着。 旭川において長期に渡る合宿を行い実力をつけ、数々のコンテストで入賞。 北海道で実力No.1のアマチュアバンドとなる。英語表記は、「Safty Zone」。交友のあるミュージシャンの一人、さだまさしが休暇でハワイに行った時、職業柄、ハワイの音楽スタジオに行ってみた。今、どのバンドが使っているか今日のスケジュールを見たところ、「Safty Zone」と書いてあったので、さだはどんなバンドかと思って覗いてみたら、安全地帯が演奏していて玉置が歌っていたので、吃驚した。というエピソードがある。1981年、井上陽水のバックバンドとして上京。1982年にキティレコード(現在のユニバーサルミュージック)と契約し、『萠黄(もえぎ)色のスナップ/一度だけ』でデビュー。1983年、サントリーワインのCMソングに起用された『ワインレッドの心』が大ヒット。一躍全国にその名が知れ渡る。 その後も『恋の予感』や、『じれったい』、『夏の終りのハーモニー』等の楽曲を立て続けにヒットさせる。 ボーカルの玉置浩二の奇抜な衣装と圧倒的なボーカル、その他のメンバーによるハイレベルな演奏が支持を受け、1980年代を代表する人気グループの地位を不動のものにする。1985年には『悲しみにさよなら』でNHK紅白歌合戦出場を果たす。1986年には、神宮球場においては初となるコンサートを井上陽水と共に行い、大成功を収める。また、同じ年の12月にはアナログ盤にして3枚組みとなるアルバム「安全地帯V」を発売するなど、快進撃を続ける。1988年、香港コロシアムでのコンサートを最後に突然活動休止を宣言。主な原因として、6thアルバム「月に濡れたふたり」の出来映えに対して、玉置自身が強い不満を持っていたためとされる。1990年、7thアルバム「夢の都」のリリースを機に活動を再開。しかし、1992年に行われたアコースティックスタイルでのコンサートツアーを終えた事により、玉置の中で安全地帯に対するこだわりが薄れ、翌1993年に再び活動を休止。活動休止を境に玉置は、俳優業とソロを中心とした活動に移行し、他のメンバーも、楽曲提供などそれぞれ個々の活動に入る。この間、安全地帯は所属会社をキティレコードからソニー・ミュージックエンタテインメントに移す。2002年、10年ぶりにグループとして本格的な活動を再開したが、2004年に再び活動休止。2010年1月、シングル『蒼いバラ / ワインレッドの心(2010ヴァージョン)』のリリースと3月のイベント出演が公表された。所属レコード会社もユニバーサルに移籍(実質的には復帰)。7月からは7年ぶりとなる全国ツアーが開催されることが決定した。レッド・ツェッペリンやジャクソン・ブラウンに憧れていたことからわかるように、結成から『ワインレッドの心』のリリースまでは当時の洋楽を強く意識しており、歌詞の一人称も「俺」が頻繁に使われている(一部の楽曲では「僕」も使う)。 『ワインレッドの心』のヒットでメディアへの露出が一気に増えた結果、作風も徐々に変化していった。井上陽水から松井五郎へと作詞担当がバトンタッチした形になり、妖艶且つ繊細な歌詞でファン層を大幅に拡大した。しかし、玉置を始めメンバーが当初目指していたバンドスタイルとは異なる形での人気高騰に、激しいジレンマを抱えながらの活動が続くこととなる。 レコード会社をソニー・ミュージックエンタテインメントに移籍することで最も大きな作風の転換を迎える。玉置自身も作詞に携わるようになり、故郷の北海道や共に過ごした人々をテーマにした楽曲が数多く作られた。 安全地帯再結成後はスローペースな楽曲が多くなり、ラブソングというよりも人生そのものを大きく捉えたメッセージソングが作られるようになる。「安全地帯X -雨のち晴れ-」の作詞には新しく黒須チヒロを起用し、それまでとは異なったタイプの作品で新しいファンを獲得すると共に、古くからのファンにも新たな一面を見せつけた。 ソロ・バンド問わず殆どの楽曲を玉置自身が作曲した。しかし安全地帯の作風と玉置浩二の作風は、編曲の段階におけるシンセサイザー・打ち込み・空間系エフェクターの採用の有無といった点において大きく異なる。安全地帯が80年代当時最新鋭であったギターシンセの採用や、打ち込みといったデジタルな加工を積極的に取り入れていたのに対して、玉置浩二のソロ作品においては打ち込み等を極力排しており、ボーカルにエコー等をかけることも避ける傾向にある。これは、玉置浩二自身の意向のほか、武沢豊や川島裕二といったデジタルな加工に長けた人物の参加の有無によるところが大きい。 メンバー* 玉置浩二(たまき こうじ、1958年9 月13日-) - ボーカル、ギター、パーカッション* 矢萩渉(やはぎ わたる、1957年6 月27日-) - ギター* 武沢豊(たけざわ ゆたか、「佑昴」とも。1958年5 月16日-) - ギター* 六土開正(ろくど はるよし、1955年10 月1日-) - ベース、ピアノ、キーボード* 田中裕二(たなか ゆうじ、1957年5 月29日-) - ドラムス公式サイト www.universalmusicworld.jp/anzen_chitai/