(Don't Fear) The Reaper

Burnin' for You

Then Came the Last Days of May

Godzilla

Cities on Flame with Rock and Roll

Astronomy

Veteran of the Psychic Wars

Tainted Blood

The Alchemist

Fire of Unknown Origin

That Was Me

Box in My Head

Sole Survivor

(Don't Fear) The Reaper - Single Version

Edge of the World

Nightmare Epiphany

Florida Man

Joan Crawford

The Machine

The Return of St. Cecilia

Train True (Lennie's Song)

Flaming Telepaths

Stand and Fight

There's a Crime

Dominance and Submission

Secret Road

Fight

Transmaniacon MC

Stairway to the Stars

This Ain't the Summer of Love

E.T.I. (Extra Terrestrial Intelligence)

Career of Evil

Vengeance

I Love the Night

Sinful Love

After Dark

The Revenge of Vera Gemini

I'm on the Lamb but I Ain't No Sheep

Before the Kiss, a Redcap

Heavy Metal: The Black and Silver

Don't Turn Your Back

Screams

Nosferatu

Subhuman

ME 262

She's as Beautiful as a Foot

Take Me Away

Harvester of Eyes

Redeemed

Blue Öyster Cult

13 rooms
ブルー・オイスター・カルト(Blue Öyster Cult)はアメリカ合衆国のロックバンドである。1967年に結成され、ヘヴィメタルの源流の一つになったバンドであると考えられている。代表曲に「(Don't Fear) The Reaper」「Burnin' for You」「Godzilla」がある。またアルバム「Fire of Unknown Origin」に収録された「Veteran of the Psychic Wars」の歌詞はマイケル・ムアコックが書いたことで知られる。結成から成功まで1967年、ニューヨーク市のロングアイランドで結成される。結成当初のバンド名は「Soft White Underbelly」であった。その歴史の最初期からサンディ・パールマンという人物がマネージメントを担当し、ライブのブッキングやレコード契約を速やかにまとめて彼らを表舞台に送り出したのであるが、バンドに与えたパールマンの影響はそれに留まらない。詩人でもあった彼は自作の詩をバンドのオリジナル曲の歌詞の素材として提供し、バンドが生み出した世界観にも決定的な影響を与えたのだった。1969年、バンドはフィルモア・イーストの舞台に立つが、ステージの評判は今ひとつであった。パールマンはバンド名の変更を決定。「オアハカ」「ストーク・フォレスト・グループ」など短期間にバンド名を入れ替える。結局バンド名が「ブルー・オイスター・カルト」に落ち着いたのは翌年のことであった。この間バンドはまたいくつかの楽曲をレコーディングしているが、エレクトラはサンプル盤としてシングルを300枚プレスしたに留まった。1972年、バンドはアルバム『Blue Öyster Cult』でデビュー。変形十字のシンボルマークもこの時から使用が開始されている。アルバムはヒットし、バンドはバーズやアリス・クーパー、マハヴィシュヌ・オーケストラらと盛んにツアーを行って知名度を上げていく。1976年、アルバム『Agents of Fortune』発表。シングル「(Don't Fear) The Reaper」が全米12位まで上昇し、アルバムはゴールド・ディスクを獲得する。1980年代のハード・ロック・ブーム以前にこの数字を出したハード・ロック・バンドはさほど多くない。バンドはレーザー・システムを導入した派手なコンサートでも注目を浴びる。1980年、マーティン・バーチをプロデューサーに起用してアルバム『Cultösaurus Erectus』を制作。マーティン・バーチの起用は、当時ブラック・サバスのマネージメントをも請け負っていたサンディ・パールマンの引きによるものであった。つまりパールマンはブラック・サバスの「ヘヴン・アンド・ヘル」のサウンドをブルー・オイスター・カルトに持ち込もうとしたのである。この試みは一定の成果を挙げ、アルバムはイギリスでヒットする。分裂1983年、アルバム『The Revölution by Night』発表。プロデューサーはブルース・フェアバーン。バンドはアルバムの出来に満足していたが、セールス的には前作に届かなかった。このアルバムに伴うツアーを終えてリック・ダウニーは脱退。1985年、バンドは2週間の西海岸ツアーをブッキングされるがドラマーは不在のままだった。急遽アルバート・ブーチャードを呼び戻してツアーは行われたが、ツアー終了とともにアルバート・ブーチャードは再び離脱。続いてキーボーディストのアラン・レイニアも脱退してしまう。1986年、レーベルとの契約上バンドは仕方なくアルバム『Club Ninja』を制作。ドラマーはジミー・ウィルコックス。キーボーディストはトミー・ズヴォンチェク。しかしこのアルバムは現在、バンドからもファンからもその存在を無かったことにされている。1987年、ジョー・ブーチャードも脱退。バンドは空中分解する。イマジノス1988年、アルバム『Imaginos』を発表。このアルバムの企画は、サンディ・パールマンが、ブルー・オイスター・カルトが結成される前に考えていた。そのコンセプトはラヴクラフトのクトゥルフ神話をベースにしている。ドラマーのアルバート・ブーチャードが、このコンセプトに基づき、曲を書き始めた。これらの曲の一部、「Astronomy」と「Subhuman」はアルバム『Secret Treaties』に収録された。アルバート・ブーチャードは、その後も曲を書き続け、バンドを脱退した1982年にこの作業に本格的に取り組み、レコーディングを行った。しかし、コロンビア・レコードは、アルバート・ブーチャードのソロ・アルバムとしては、この企画に興味を示さなかったため、サンディ・パールマンは、エリック・ブルームとバック・ダーマによる新たなボーカルと演奏を加え、ブルー・オイスター・カルトのアルバムとしてレコーディングし、発表された。コンセプト・アルバムとして高い評価を得たものの売り上げは芳しくなく、バンドはコロンビア・レコードのプロモーションがない状態でツアーせざるを得なかった。コロンビア・レコードがソニーに売却される際、バンドは契約を失った。オリジナル・メンバーエリック・ブルーム (ヴォーカル)ドナルド・”バック・ダーマ”・ローザー (リード・ギター)アラン・レイニア (ギター、キーボード)ジョー・ブーチャード (ベース)アルバート・ブーチャード (ドラムス)ディスコグラフィスタジオ・アルバム1972年:「Blue Öyster Cult」1973年:「Tyranny And Mutation」1974年:「Secret Treaties」1976年:「Agants Of Fortune」1977年:「Spectres」1979年:「Mirrors」1980年:「Cultösaurus Erectus」1981年:「Fire Of Unknown Origin」1983年:「The Revölution by Night」1986年:「Club Ninja」1988年:「Imaginos」1998年:「Heaven Forbid」2001年:「Cure Of The Hidden Mirror」ライヴ・アルバム1975年:「On Your Feet On Your Knees」1978年:「Some Enchanted Evening」1982年:「Extraterrestrial Live」1994年:「Live 1976」2002年:「Long Day's Night」