風をあつめて

抱きしめたい

はいからはくち

空いろのくれよん

夏なんです

あしたてんきになあれ

暗闇坂むささび変化

はいから・びゅーちふる

颱風

氷雨月のスケッチ

しんしんしん

春らんまん

風来坊

Kaze Wo Atsumete

かくれんぼ

愛餓を


いらいら

あやか市の動物園

無風状態

さよなら通り3番地

外はいい天気

さよならアメリカさよならニッポン

はっぴいえんど

明日あたりはきっと春

十二月の雨の日

はっぴいえんど

13 rooms
はっぴいえんどは、日本のロックバンド。メンバー細野晴臣 - ベース、ボーカル:東京都港区出身。 大瀧詠一 - ギター、ボーカル:岩手県奥州市出身。 松本隆 - ドラム:東京都港区出身。 鈴木茂 - ギター、ボーカル:東京都世田谷区出身。 来歴小坂忠、柳田ヒロらとともに結成したバンド・エイプリル・フールを脱退した細野晴臣と松本隆、そして大瀧詠一と鈴木茂が出会い、1969年にバレンタイン・ブルーという名前で結成された。1970年4月にハッピーエンド、更に平仮名表記のはっぴいえんどとバンド名を改名。活動期間中に、URCレコードから『はっぴいえんど』『風街ろまん』、ベルウッドレコードから『HAPPY END』を発表している。バンドの作詞担当であった松本隆が、ダブルミーニングなどの技法を積極的に歌詞に取り入れ、日本語ロックと呼ばれた独特の世界を構築。ちなみに大瀧と細野は音楽性を重視していた為、ロックに日本語の歌詞をつけるこの提案に反対したらしい。またサウンド面においてはアメリカのバッファロー・スプリングフィールドや、モビー・グレープに影響された先進的な音であった(尤もこの時期には、日本でも既にプログレッシブ・ロックが注目されており、バッファロー・スプリングフィールドは過去のものとなりつつあった節がある。しかし、1970年の洋楽専門雑誌では、特集で彼らが回顧されており、その音が全くの時代遅れではなかったことがわかる)。しかしブリティッシュロックの人気が絶頂期を迎えつつあった当時の日本において、これらのバンドはほぼ無名であり、音楽性としてもマニアックであったため、評論家や一般のロックファンの評価は決して高くはなかった(現在においてもはっぴいえんどの再評価はロックのフィールドではなく歌謡曲やJ-POPのフィールドでされる事が多い)。にも拘らず、このような音楽性を標榜したのは、(細野がアメリカ音楽からの影響を強く受けていた事や、単に売れている物を否定するというアンチの精神もあるが)ブリティッシュロックはアメリカのロックをコピーして生まれたイギリスオリジナルの音楽であるため、日本のロックを作るためにはアメリカのロックをやらなければならないという考えがあったからだという。また、今でこそシングルとアルバムのバージョンを違えたりリミックスする事は一般的だが、シングルカットする際にはアルバムの音源を使うのが通例だった当時において、彼らは既にシングルとアルバムのバージョンを変えて発表していた。なお、シングルがキングレコードから発売されたのは、当時キングレコード社員だった三浦光紀がはっぴいえんどに注目し、「12月の雨の日」のシングルバージョンのレコーディングスタジオにキングスタジオを提供したためである。また、遠藤賢司、岡林信康、加川良、高田渡、小坂忠らのバックバンドとしても、コンサートやスタジオ録音などを行っている。1972年末に惜しまれつつ解散したが、1973年の文京公会堂と、1985年の国立競技場で再結成のライブを披露している。彼らの代表曲「風をあつめて」は、2003年に米国映画『ロスト・イン・トランスレーション』でも取り上げられた。