When I Look Into Your Eyes

Love of a Lifetime

I Live My Life For You

Don't Treat Me Bad

Reach For The Sky

All She Wrote (Live)

Here For You

Overnight Sensation (Live)

Shake & Tumble

All She Wrote

Rock On The Radio

You Are My Religion

Lover's Lane

Don't Walk Away

Sleeping With You

Home Is Where The Heart Is

Hold The Dream

Oughta Be A Law

Helpless

Overnight Sensation

You're Too Bad

In Your Perfect World

Seasons Of Change

Hold Your Fire

No One At All

Love Is A Dangerous Thing

Love Don't Care

The Meaning Of Love

Life In The Real World

Somethin' 'Bout Your Body

What's Wrong

Body Language

Get In Touch

Trying To Make A Living

Mama Didn't Raise No Fool

Two Sides

Get a Life

Talk Of The Town

Seven Bridges Road

Crash

Let Go

Perfect Lie

Temptation

Home Tonight

Door To Door

Prime Time

Holding On

Firehouse

13 rooms
C.J. Snare C.J.スネア/ヴォーカル、キーボードMichael Foster マイケル・フォスター/ドラムスBill Leverty ビル・レバティ/ギターPerry Richardson ペリー・リチャードソン/ベース・ギターメロディック・メタルあるいはポップ・メタルと呼ばれる彼らのサウンドは、デビュー前からすでに話題になっていた。それというのも、彼らのデモ・テープを聞いた、あのジョン・ボンジョヴィ(g)がとても気に入り、強力にバックアップしてくれたからである。1988年米ヴァージニア州でビル・レバティとマイケル・フォスターが活動していたWhite Heatに元Maxx Warriorの2人、C.J.スネアとベリー・リチャードソンが加わるという形でファイアーハウスはスタートする。だが、彼らは他のバンドのように、すぐにライブに明け暮れるようなことはせず、まずは曲作りとデモ・テープを作るためのレコーディングにじっくりと時間を費やした。これが功を奏し、トントン拍子にデビューへとこぎつけられたわけだ。ジョン・ボンジョヴィの紹介でなんなく大手レーベル、エピック・ソニーと契約を交わした彼らは、1990年にファースト・アルバムをリリース。90年代初頭といえば、すでにヘヴィメタ・ブームは下火となり、ミクスチャーロックやオルタナティブ、グランジといったサウンドがとって代わろうとしていた頃である。しかし、この中のシングル「Don't Treat Me Bad」と「Love Of A Lifetime」はそんなヘヴィメタにとっての逆風をものともせず全米チャートのトップ10とトップ3に入る大ヒットを記録したのだ。曲の良さと確かな歌唱力&演奏力がこの結果を生んだのだろう。アルバムもデビュー・アルバムとしては異例のダブルプラチナムと売れまくり、翌91年にはアメリカン・ミュージック・アウォードにおいてBest New Hard Rock/Metal Band(ヘヴィメタル部門最優秀新人賞)を受賞している。日本では91年になってこのファーストアルバムがジャケット違いで発売されたが、直後から大人気だったようで、それに応えるように、この年1回きりのライブのために来日している。アルバム1枚にして、すでに大物の貫禄を見せていたは彼らは、92年になってやっと2枚目のアルバムをリリース。ここからも「Reach for The Sky」「Sleepin With You」「When I Look Into Your Eyes」と3曲もトップ10ヒットを放ち、すべてが順風満帆なように見えた。しかし、このアルバム前半で見せた、その後のファイアーハウス・サウンドにつながるポップな曲は、特にアメリカで初期からファンだった層の間では評判がよくなかった。アメリカの音楽シーンとの決別そしてその方向性をより強め、満を持して95年にリリースしたサード・アルバム「3」では、全曲共に素晴らしく、静と動、softとHeavyをうまく使い分けた内容だったにも関わらず、シングルの「Here For You」と「I Live My Life For You」はスマッシュ・ヒットはしたものの以前のような勢いはなく、アメリカでの評価は低いものだった。名曲「I Live My Life For You」などはその後発売されているアメリカ編集のベスト盤2枚には、どちらにも収録されていないというありさまだ。日本においては、通信カラオケなどにもリストアップされているほど有名な曲なのに・・・。この曲はアジア編集のベスト盤には1曲目に入っているほどで、日本では多くの人が名曲にあげるはずだ。これがアメリカではまったく無視されているというのは、やはり嗜好の違いとしか思えない。尚、95年には3度目(2度目は92年)の来日公演も果たしている。ちなみに95年、97年、99年の来日公演のアンコール曲はすべて「I Live My Life For You」であったという。1996年ファイアーハウスの正式な4枚目のアルバムとして「グッド・アコースティックス」という文字通り、前編アコースティック・ヴァージョンのアルバムをリリースした。これがまたアメリカでは物議を醸しだし、大かたは批判的な意見が多い。もともとこういったアコースティックなサウンドは彼らの得意としたところであり、既存の曲からのベストと思える選曲に新曲3曲をプラスして、ロック・ファンならずとも愛聴できるすばらしい内容なのに・・・。アメリカではこのアルバムを「当時流行っていたアンプラグドものを出して安易に一稼ぎしようとしている」など、厳しい意見が大勢を占めた。その後ポニーキャニオンへ移籍し、98年には決意も新たに、セルフ・プロデュースでレバディの家で録音されたという力作アルバム「カテゴリー5」を発表。このアルバムでは開き直ったとも思えるほど完全にアメリカ市場を無視し、自分たちのやりたいようにやったアルバムだが、残念ながら曲の良さがあまり感じられない。むろんアメリカではまったくヒットしていないが、日本やアジア、ヨーロッパでは依然としてかなり高い人気を保っていた。また2000年には99年の来日公演(大阪)を収録したライブ盤とオリジナル・アルバムである「O2」をリリースしているが、後者では少しヘヴィさが戻ったことで、アメリカでも、そう悪くない評価を得ていた。このことは、アメリカでの悪い評判も裏を返せば、それだけデビュー時のインパクトが強烈で、アメリカ国民は初期のヘヴィなファイアーハウスの熱烈なファンであったということも汲み取れる。そのためソフトな彼らを聞いたとき裏切られた感じがしたのではないだろうか。尚、「O2」からオリジナル・メンバーであったベースのリチャードソンが脱退し、オールマン・ブラザーズ・バンドやマーシャル・タッカー・バンドにも参加していたBruce Waibelブルース・ウェイベル(b,vo)が加わっている。いずれにしろ、彼らにはこれからも日本や世界のファンのために、名曲をたくさん生み出し、いつまでも頑張ってもらいたいものだ。日本のファンは今でも新作を心待ちにしているのだから・・・。