I Am the Black Wizards

Ye Entrancemperium

Inno A Satana

Into the Infinity of Thoughts

Al Svartr (The Oath)

The Burning Shadows of Silence

Beyond the Great Vast Forest

Thus Spake the Nightspirit

Cosmic Keys to My Creations and Times

Towards the Pantheon

With Strength I Burn

Ensorcelled by Khaos

The Loss & Curse of Reverence

The Majesty of the Night Sky

The Acclamation of Bonds

A Fine Day to Die

The Wanderer

Gypsy

In Longing Spirit

Opus A Satana

Curse You All Men

The Eruption

An Elegy of Icaros

Depraved

In the Wordless Chamber

Decrystallizing Reason

Empty

Wrath of the Tyrant

Sworn

The Tongue of Fire

The Prophet

The Source of Icon E

Thorns On My Grave

Night of the Graveless Souls

Nonus Aequilibrium

The Warriors of Modern Death

The Loss And Curse Of Reverence

Grey

Alsvartr (The Oath)

Introduction

Witches Sabbath

Ancient Queen

Moon Over Kara-Shehr

Lord of the Storms

Emperor

13 rooms
1991年、ノルウェーのテレマルク県 ノトデンで結成。ブラックメタルの先駆者の一人また代表的なバンドの一つとされる。  ブラックメタルのアーティストの多くが犯罪を起こしていた90年代初頭の時期には3人のメンバーが逮捕された。 1991年に結成し2001年に解散を発表するが、2005年には活動を再開し、フェスティバルを中心にライブを行っている。 活動初期に製作したEPも当時既に評価を受けており、後に彼等が活動中にリリースした4枚のアルバムはブラックメタルの範囲にとどまらず、世界中のメタルシーンに影響を与えた。 初期はブラックメタル特有の冷たく、重いサウンドにメロディアスなギターリフ・キーボードを交えた音楽性を展開。 劣悪な音質であるが、1stアルバムはブラックメタルのジャンルを代表する名盤として知られる。 2nd~4thにはクラシックの影響から、壮大でプログレッシブな新しいブラックメタルのスタイルを追求。 この変化について、賛否両論であるが世界的な名声を得るようになった。この時期からはブラックメタルバンドに多く見られるロングヘアーや「コープス・ペイント」をしていない。ブラストビートを多用したドラムビートを主体としつつも、それまでと違い、ギターをスタッカートに刻むようになり、キーボードの使い方も従来より大胆である。  略歴 1988年、当時13歳だったイーサーンが、(ロックの)音楽スクールでサモスと出会いバンドをはじめる。バンド名は次々変わり1991年、最終的にバンド名は「Thou Shalt Suffer」となる。しかしSamothはMayhemのEuronymousに影響を受けこのバンドを解体する。また彼はこの頃から、自身がドラムを務めるバンドに向けて曲を書き始め、新たにベースの「Mortiis(Ba)」を加えてIhsahnと共にバンドEmperorが結成される。 1992年、EP『Call From the Grave』、Wrath of the Tyrantを録音し、キャンドルライト・レコードと契約。その後、Samothは自分に合ったギターへとポジションを変え、ファウストが新たなドラマーとして加入する。またMortiisが脱退し、「Tchort(Ba)」が加入。 1993年、EP『Emperor』、バンドEnslavedとのスプリットアルバムHordanes Landをリリースし、さらにアルバムの録音に移るが、ノルウェーのブラックメタルバンド「Burzum」のVarg Vikernes(ヴァルグ・ヴィーケネス)の逮捕に端を発する「インナーサークル」のメンバーの相次ぐ逮捕により、Samoth、Faust、Tchortらも懲役刑を科せられ、一時期はIhsahnが唯一のメンバーとなってしまう。 1994年、EP『As the Shadows Rise』、1stアルバムIn the Nightside Eclipseをリリース。このアルバムで彼等は大きな賞賛を得、多くのファンを獲得する。 1995年、しばらくは活動の休止を余儀なくさせられていたが、出所したSamothと、元Enslavedの「Trym」をドラムに、「Alver」をベースに迎え、活動を再開。 1997年、EP『Reverence』、2ndアルバムAnthems to the Welkin at Duskをリリース。前作よりもずっとプログレッシブさを強めたこの作品は、世界中のメタル雑誌において「アルバム・オブ・ザ・イヤー(Album of the Year)」投票で勝利を勝ち取った。 その後すぐにAlverが脱退した事で、以後はIhsahnがベースも兼任するようになる。この頃からIhsahnはより芸術的でプログレッシブな音楽性を求め、彼の妻である「Ihriel」と共に「Peccatum」を、SamothとTrymはデスメタルの方向へ転換し、「Zyklon(ザイクロン)」を結成し活動を開始する。 1999年、3rdアルバムIX Equilibriumをリリース。 2001年、Ihsahnによって4thアルバムPrometheus: The Discipline of Fire and Demiseをリリース後バンドを解散することが決定された。 2003年、彼等のベストアルバムにあたるScattered Ashes: A Decade of Emperial Wrathがリリースされる。 2005年9月30日、オスロのコンサートホール「Rockefeller」にて、わずか数人しか事情を知らされなかった極秘のサプライズライブ出演によって、解散時のメンバーのまま再結成を果たす(この時演奏したのは3曲のみであった)。以後アメリカやヨーロッパでコンサートツアーを行ったほか、「Wacken Open Air」などのフェスティバルにも出演をしている(アメリカでのライブは、Samothが放火・暴行の罪で捕まっていた為彼が出演することが出来ず、そこではSamothがいない状態でライブを行なった。ディスコグラフィー 1994年1月21日 In the Nightside Eclipse - 闇の皇帝  1997年7月8日 Anthems to the Welkin at Dusk - 闇の讃美歌 1999年4月28日 IX Equilibrium - 闇の黙示録 2001年10月23日 Prometheus: The Discipline of Fire and Demise - 闇の終焉~ラストエンペラー~ オリジナル盤発売後、現在までにいくつかのリマスター盤がリリースされている。2007年には、ボックスセット(インタビュー・歌詞付きポスター入り)も発売されている。 邦題の書かれている作品のうち、闇の復活祭以外の作品は、全てトイズファクトリーから日本盤が発売されていたが、トイズファクトリー盤は全て廃盤となっている。