高橋真梨子
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桃色吐息
五番街のマリーへ
遥かな人へ
ジョニィへの伝言
グランパ
高橋真梨子
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本来の表記は「髙橋真梨子」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。髙橋真梨子(たかはし まりこ、1949年3月6日 - )は広島県廿日市町(現・廿日市市)生まれ、福岡県福岡市育ちの歌手。旧芸名は高橋まり。本名は広瀬まり子。血液型はA型でうお座。駒沢学園女子高等学校卒業。夫はミュージシャンのヘンリー広瀬。スポーツ観戦を趣味とする。所属レコード会社はビクターエンタテインメント。代表曲には「桃色吐息」「はがゆい唇」「ごめんね…」などがある。父・森岡月夫は国鉄広島鉄道局、母・髙橋千鶴子も広島市で銀行勤務時の1945年被爆。父は入市被爆が原因でのち39歳の若さで亡くなった。戦後、国鉄を辞めプロのジャズクラリネット奏者を目指した父が、当時米軍基地が多くジャズのメッカだった博多に転居。まもなく母と共に当時1歳だった真梨子も博多に転居した。5歳の時に両親が別居し、父は広島に戻り、母と真梨子は博多に残る。10歳の時に、離婚が成立し、母親の「髙橋」姓になる。父の影響を受け14歳より、自らもジャズボーカルの勉強を始める。父は甲斐よしひろの父が率いていたラテンバンドにも在籍したことがある。16歳の時に、本格的なジャズボーカルの勉強のため、九州女子学院高等部より、東京の駒沢学園女子高等学校へ転入。本格的なレッスンを受けたあと1966年にスクール・メイツとしてデビュー。高校卒業後は渡辺プロを脱退し、一時的に博多に戻り、ライブハウスでの活動を始める。1972年にペドロ&カプリシャスのペドロ梅村にスカウトされ、2代目ボーカルとして参加。翌年に大ヒットした「ジョニィへの伝言」で1974年の第25回NHK紅白歌合戦に出場する。1978年にペドロ&カプリシャスを脱退し、「髙橋真梨子」として、ソロ活動を始める。「あなたの空を翔びたい」でソロデビュー。以後、「桃色吐息」や「はがゆい唇」等の楽曲を立て続けにヒットさせ、実力派歌手としての地位を確立する。また1993年8月5日にはペドロ&カプリシャス時代のメンバーであったヘンリー広瀬と結婚。テレビ出演は極めて稀であり、NHK紅白歌合戦の出演依頼を受けた際、「大晦日にスケジュールを拘束されたくない」という理由で辞退したことがある(ソロでは、「桃色吐息」がヒットした1984年に一度出場)。年に1度のペースでアルバムを発表し、それに伴うコンサートツアーを行っている。コンサートの回数は50を軽く越え、1年の殆どを歌と共に過ごしている。中高年(特に同年代の女性)の人気が高い。「ごめんね…」は、火曜サスペンス劇場の主題歌として同番組のターゲットである主婦層から絶大な支持を受け、自身最大のヒット、番組の主題歌としては岩崎宏美の聖母たちのララバイに次ぐ売上を記録し、さらにはカラオケチャートでも40-50代女性の中で1位となった。長年清酒白鶴のCMソングに起用されたり、本人も白鶴のCMに出演。さらには中高年向け高級化粧品グレイスソフィーナのイメージキャラクターに同年代の候補の女優を抑えて選出された。