井上陽水
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Make-up Shadow - Remastered 2018
少年時代
心もよう
人生が二度あれば
傘がない
夢の中へ
帰れない二人
飾りじゃないのよ 涙は
東へ西へ
ダンスはうまく踊れない
井上陽水
13 rooms
詳細
本名は井上陽水と書いて「いのうえ あきみ」と読む。1970年代には吉田拓郎、かぐや姫と並んでフォークソングあるいはニューミュージックの中心人物だった。その後も1984年のアルバム『9.5カラット』が売り上げ100万枚、1999年のベストアルバム『GOLDEN BEST』は売り上げ200万枚を達成するなど、長いキャリアを通して高い人気を維持している。フランスのミッシェル・ポルナレフに強い影響を受けており、ポルナレフを真似てモジャモジャの長いカーリーヘアーをし、決してサングラスを取らないというスタイルを70年代は通した。また、特徴の強い歌詞と歌い方でも知られている。1976年ごろまで、歌詞は若者特有の繊細でセンチメンタルなものが多いと同時に、エキセントリックかつシュールな作風も多く、同時代の他のアーティストと一線を画した。また高く細い声を絞り出すような独自の歌い方が特徴的である。歌詞は言葉の響きを重視したものが多く、独特の発音で甘く歌う。デビュー前からビートルズの熱狂的なファンである。コンサートやテレビ番組の中でしばしばビートルズの作品を歌うほか、ビートルズの影響は楽曲の随所に見られる。1988年、フジテレビ系のドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌に使われた「リバーサイドホテル」がヒットする(11位)。「リバーサイドホテル」は1982年に発表されていた作品だが、リリースから6年を隔ててのヒットとなった。翌1990年から1991年にかけて、映画『少年時代』の主題歌として作られた「少年時代」がヒットする。リリース直後はそれほどでもなかったが、ソニー・「ハンディカム」のCMに使われてから売り上げを伸ばした。「少年時代」は夏の終わりを歌った季節感が好まれ、TVでしばしばBGMに使われるほか、音楽教科書に掲載されるなどして、井上の作品ではもっともよく知られている。特に1980年代以降生まれの世代にとって、井上陽水と言えば真っ先に連想されるのが「少年時代」だろう。このことは『GOLDEN BEST』(後述)の1曲目に「少年時代」が置かれていることからも読み取れる。1996年、PUFFYのデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真」がヒットする。「アジアの純真」の作曲は、以前から交流のあった奥田民生である(1994年には「月ひとしずく」(小泉今日子)を共作している)。同じく井上作詞、奥田作曲でPUFFYに提供した「渚にまつわるエトセトラ」もヒットする。続いて「井上陽水奥田民生」というアーティスト名でリリースしたシングル「ありがとう」、アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを受けたものと言えよう。「ありがとう」はリリースされた1997年にサッポロビール・「黒ラベル」のCMに使われたことも手伝ってヒットする。「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」は自演の作品にない元気のよさから、以後のコンサートではしばしば歌われる。2004年を除いて毎年全国ツアーを行うなど、歌うことに関しては活発だが、自作の新曲は少ない。この期間で新曲を含むリリースは、シングルが6枚、アルバムは『カシス』『LOVE COMPLEX』の2枚にとどまる。井上が作曲とリードボーカルを兼ねた作品は合計25曲である。それが『九段』以後8年間の仕事であり、デビュー以来30年で250曲ほどを作曲・リリースしたことに比べれば、この面の活動は大幅に減ったといえる。近年は、曲のリズムにあわせた詩が多くなってきており、言葉を音で捉えたような作品が増えている。