春よ、来い

知らないどうし

Hello, my friend

リフレインが叫んでる

やさしさに包まれたなら

守ってあげたい

真夏の夜の夢

ルージュの伝言

SWEET DREAMS

Anniversary

DANG DANG

ダイアモンドダストが消えぬまに

WANDERERS

深海の街

A HAPPY NEW YEAR

Sunny Day Holiday

卒業写真

翳りゆく部屋

恋人がサンタクロース

青春のリグレット

ガールフレンズ

12月の雨

埠頭を渡る風

松任谷由実

13 rooms
松任谷 由実(まつとうや ゆみ、本名も同じ、1954年1月19日 - )は、日本のシンガーソングライター、作曲家、作詞家。(松任谷由美は誤字)。荒井由実(あらい ゆみ)の名で活動していたが、1976年の結婚とともにアーティスト名も改姓。愛称はユーミン (Yuming)。ペンネームは呉田軽穂(くれた かるほ)。匿名性を持って曲を提供する際に用いている。往年の美人映画女優である「グレタ・ガルボ」をもじったものである。東京都八王子市出身。多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業。血液型はO型。星座は山羊座。ユーミンという愛称は、13歳のころに初恋相手の中国人(ユーミンが中学生当時追っかけをしていた『ザ・フィンガーズ』のC・U・チェン。 1982年刊行の自叙伝『ルージュの伝言』より)につけてもらった(中国には Yuming というポピュラーな名前がある。イオ・ミン・ペイ(貝聿銘)など)。1972年、かまやつひろしがプロデュースしたシングル『返事はいらない』で荒井由実としてデビュー。同シングルはほとんど売れず、後に幻のデビューシングルと呼ばれるようになる。1973年11月にファーストアルバム『ひこうき雲』を発売、TBSラジオの深夜放送番組「パックインミュージック」金曜日第2部を担当していたパーソナリティの林美雄の絶大な支持を受けて知名度が上がり、翌1974年より本格的にステージ活動を開始する。1975年12月にアレンジャーの松任谷正隆と婚約、1976年11月29日に横浜山手教会にて結婚、松任谷由実となる。本人には引退する考えもあったようだが、結婚後も途切れず音楽活動を続行。1978年から1983年はオリジナルアルバムを毎年2枚リリースするなど、ハイペースで曲を製作。『DESTINY』や『恋人がサンタクロース』はこの頃作られた。1980年代に入っても彼女の人気が衰えることはなく、「若者のカリスマ」、「恋愛の教祖」などと呼ばれ、まさにユーミンの時代となった。「中産階級の手に届く夢」を歌って時代の波に乗ったユーミンだったが、1990年代に入ると精神世界や民族的な音楽に着目。『真夏の夜の夢』、『春よ、来い』などの傑作を生み出す。1996年、以前の芸名荒井由実の名で活動を開始する。セルフカバーシングル『まちぶせ』を発売。また、荒井由実時代の仲間のミュージシャンを集めて、「Yumi Arai The Concert with old Friends」を開催した。このライブアルバム発売に伴い、年末リリースのアルバムが数ヶ月遅れた。これ以降、日本の恒例行事とまで呼ばれたサイクル(冬のアルバム発売~夏までツアー)が若干緩やかになったが、「カリスマはもういい。これからは好きな音楽をやる」と宣言した彼女は、以後も精力的に作品を制作。ステージはますます大掛かりになり、1999年・2003年にはロシアのサーカスチームとコラボレートした制作費50億円のコンサート「シャングリラ」を開催。前代未聞の興行として話題になる。2007年にはシリーズ最後を飾る「シャングリラIII」を開催。