The Bridge Is Over

My Philosophy

9mm Goes Bang

South Bronx

Stop the Violence

Elementary

Dope Beat

Remix For P Is Free

Ya Slippin'

Super Hoe

Jimmy

Duck Down

Beef

You Must Learn

House Nigga's

The Style You Haven't Done Yet

Bo! Bo! Bo!

30 Cops or More

Part Time Suckers

Why Is That? - Single Edit

Blackman In Effect

Who Protects Us From You?

13 And Good

Build and Destroy

Drug Dealer

Super-Hoe

Jah Rulez

Gimme Dat (Woy)

Boogie Down Productions

13 rooms
ブギ・ダウン・プロダクションズ(Boogie Down Productions)は、KRSワン、Dナイス、そしてDJのスコット・ラ・ロックの3人で結成されたヒップホップ グループ。1987年 8月27日、彼らのアルバム第1弾「クリミナル・マインデッド」を発表後、DJのスコット・ラ・ロックが凶弾を受けて死去。グループに冠せられた「ブギ・ダウン」は、ニューヨーク市のブロンクス区の別称である。Dナイスは、自分たちの前座でパフォーマンスを行っていたキッド・ロックに才能を感じ、1990年、彼のデビューアルバム「グリッツ・サンドウィッチ・フォー・ブレックファースト」発売の支援を行った。ヒップホップ生誕の地はブロンクスだと言われているが、彼らのライバル集団であるジュース・クルーは、「ザ・ブリッジ」という曲の中で、ヒップホップはクイーンズブリッジ団地出身のアーティストたちの手で築かれていったと主張していた。これに対して、ブギーダウン・プロダクションズは、「ザ・ブリッジ・イズ・オバー」や「サウス・ブロンクス」といった曲の中で反論を行い、ヒップホップの歴史の中でも有名な論戦が始まった。MCシャン、マーリー・マール、ロクサーヌ・シャンテなどのアーティストたちが、一斉にKRSワンやスコット・ラ・ロックに対して個人的に攻撃し始めた。これが世に言う「ブリッジ戦争(Bridge Wars)」、もしくは「ブリッジバトル(Bridge Battle)」である。しかしこの論戦は、すぐに終結することになった。ブギ・ダウン・プロダクションズのアルバム第2弾の発表前に、スコット・ラ・ロックが死去したためである。この結果、KRSワンがコンシャス・ラップに集中するようになった。第1弾アルバム「クリミナル・マインデッド」では、性や犯罪といった内容を扱ったが、スコットの死後、ブギ・ダウン・プロダクションズは、劇的な変貌を遂げ、パブリック・エネミーに並ぶ、最も人気を集めるヒップホップグループとして君臨するようになった。ラガとヒップホップを融合させる試みを始めたのは、彼らであった。ブギ・ダウン・プロダクションズのメンバーは、結成以来、幾度とない入れ替わりを経験してきた。マッド・ライオン、チャンネル・ライブ、トニー・ラーサン、MCブー、ミセス・メロディー、ヒーザー・B、スコッティー・モリス、ウィリー・D、ロボコップ、ハーモニー、DJレッド・アラート、ジェイ・クラマー、Dスクエア、レベッカ・フォスター、シドニー・ミルズなどが、グループと何らかの関わりを持ってきた。