私は里歌ちゃん

ニャンギラス

13 rooms
ニャンギラスは、人気番組『夕やけニャンニャン』から誕生した日本のアイドルグループ「おニャン子クラブ」内のユニット。その芸風から「お笑い系」と称されることもある。おニャン子クラブの色物キャラであった立見里歌、樹原亜紀、名越美香、白石麻子の4人がメンバーとなって結成された異色音楽ユニット。発端は85年11月に始まる夕ニャン内のコーナー「愛はおニャン子を救う! おニャン子AID」であり、同コーナーで樹原・名越・立見の3名がレコードを出すべきかの賛否を視聴者に募集した(なお、この時秋元康は賛成派にまわった)。その後、86年3月発売の2ndアルバム『夢カタログ』に同メンバーによる「好きになってもくれない」が収録され、4月には白石麻子をメンバーに加えてニャンギラスとしてレコードデビューするに至った。白石麻子は色物キャラでは無かったが、紅一点としてスタッフが入れたという話がある。1986年4月1日にワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック・ジャパン)より「私は里歌ちゃん」でデビュー。メンバーの中で一番音痴の立見里歌をメインボーカルにしているこのシングルは、当時同じレコード会社所属で人気絶頂の少年隊の2曲目「デカメロン伝説」を抑えオリコンチャートで初登場1位を獲得。その後、1986年6月21日に発売した第2弾シングル「自分でゆーのもなんですけれど」でもオリコン初登場1位を獲得した。活動当時、TBSの『ザ・ベストテン』には、フジテレビ側の意向でおニャン子クラブの出演を見合わせていたが、立見の「一生の思い出にしたいから出させて欲しい」という願いを聞き入れたフジテレビ側スタッフが出演を黙認している。ニャンギラスの4名は、おニャン子クラブのアルバム収録曲「夢の花束」「乙女心の自由型」においても、ひとつのコーラスグループとしてまとめられている。1986年9月の名越の卒業をもってニャンギラスは解散したが、翌年3月の樹原・立見の卒業公演では3人編成で復活し「私は里歌ちゃん」を歌った。リリースした全てのシングルがオリコン初登場1位というのは、現在「解散し、再結成の予定もないグループ」ではニャンギラスとJ-FRIENDSだけである(KinKi Kidsは未だ活動中)。1986年8月25日に発売したアルバム『最初で最後』はオリコン初登場5位。ディスコグラフィシングル私は里歌ちゃん / 夏が来れば(1986年4月1日) 自分でゆーのもなんですけれど / ファーストダンスは渚で(1986年6月21日) アルバム最初で最後(1986年8月25日)