Yngwie Malmsteen
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再生曲一覧
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Black Star
Rising Force
Far Beyond The Sun
Dreaming (Tell Me)
Heaven Tonight
Trilogy Suite Op: 5
Liar
Hold On
Arpeggios From Hell
Crying
Queen In Love
I'll See The Light Tonight
Fire And Ice
Vengeance
Fury
Deja Vu
Magic Mirror
Seventh Sign
Fire
Dark Ages
Bite The Bullet
Forever One
Perpetual
Making Love
Save Our Love
Amberdawn
Like An Angel
Eclipse
Caprici Di Diablo
Judas
overture 1622
Krakatau
Bedroom Eyes
Motherless Child
C'est la Vie
Never Die
Demon Driver
Mr. Crowley
No Mercy
Prisoner Of Your Love
Cry No More
Blitzkrieg
Now Is The Time
Dragonfly
The Sails Of Charon
Yngwie Malmsteen
13 rooms
詳細
イングヴェイ・マルムスティーン(Yngwie Malmsteen、本名Lars Johan Yngve Malmsten、1963年6月30日 - )は、スウェーデン・ストックホルム出身のミュージシャンであり、ロック・ギタリスト。「インギー」の愛称で親しまれている(ただ、本人はこの愛称をあまり好く思っていないとされる)。ロック・ギターにクラシック音楽の要素を盛り込み、驚異的な速弾きでギター奏法に大革命をもたらした。マイケル・シェンカーの「神」に対して「王者」と呼ばれる。先祖はスウェーデンの貴族である。彼の先祖は1622年に銀の鉱山を発見し、その功績を称えられてスウェーデン国王から伯爵の位を与えられた。マルムスティーンの姓はこれにちなみ、「マルム」=「銀の」、「スティーン」=「鉱石」に由来するといわれる。現在、彼の自宅には伯爵の紋章が飾られている。これをモチーフにした曲が 『Overture 1622』(『MAGNUM OPUS』収録)である。 これに関して、マルムスティーンがブルース・ディッキンソン(アイアン・メイデン)に「先祖が貴族なんだ」と言ったところ、「それがどうした?」と軽くあしらわれ激怒した(インタビューでは「非礼な奴」を連呼していた)という逸話がある。1963年6月30日、4人兄弟の末弟として出生。生まれて間もなく両親が離婚し、画家の母に育てられる。10歳までは軍人である父方の「Lannerbäck」姓を名乗っていた(「Malmsteen」は母方の姓の英語読み)。5歳の誕生日にはプレゼントとしてアコースティック・ギターを、翌年の誕生日にはトランペットを母からもらうが、どちらも興味がなく、やっても長続きしなかったという。1970年、世界的なギタリストジミ・ヘンドリックスが死去。TVで彼の特集番組を見て、ギターに興味を持ち練習を始める。また、姉からディープ・パープルのレコードを貰い、ここでもまた大きな影響を受け、ギターのコピーをし始める。彼が音楽から影響を受けたのには、姉も関係していたようである。この頃からクラシックも聴き始め、ヴァイオリンの楽譜をギターで弾くことにも挑戦していた。少年時代は、英語と美術の成績はすこぶる良かったものの、甘やかされて育ち、粗暴な少年で不登校気味であった。母親は学校に行かずに家でギターの練習をする生活を許した為、自宅でたっぷりとギターの練習をした。やがて学校の廊下をバイクで走るような問題児になり、15歳のときに学校を退学、ギター修理店でリュート製作をしていた。しかし、姉であるロロ・レナーバックへのインタビューによると仕事はしておらず、いつも自宅地下の練習場でギターを弾いており、食事は祖母に頼っていたとのこと1983年、イングヴェイのデモテープを聴いたシュラプネル・レコーズのマイク・ヴァーニーの誘いでロサンゼルスへ渡る。地元のメタルバンド「スティーラー(Steeler)」に加入。同年これを脱退し、グラハム・ボネット率いる「アルカトラス(Alcatrazz)」に加入し名声を得る。1984年、自らのバンド「ライジング・フォース(Rising Force)」を結成。デビューアルバム「Yngwie J. Malmsteen's Rising Force」をリリース。1987年6月22日、彼の運転するジャガーが木に激突するという大事故を起こす。8日間にわたる意識不明の重体で、ギタリストの命である手(右手)に後遺症による麻痺も煩いリハビリで何とか克服するが、後のギタープレイに影響することになる。1988年、4thアルバム「Odyssey」をリリース。同年、母リグマーが死去。1989年、Rising Force解散。以降は彼自身の名で活動をしていく。1990年、母に続き、兄ビヨンが鉄道事故により他界。1993年、当時のイングヴェイの婚約者の母が、彼と婚約者との結婚に反対する中、「自分と娘は(イングヴェイに)暴力を受け監禁されている」と通報。一度は逮捕されるが、誤認と分かり釈放される。1998年、現在のマネージャーである3度目の結婚相手・エイプリル夫人と間に長男が誕生。翌年、息子と共にBURRN!誌11月号の表紙を飾る。1999年、アルバム「ALCHEMY」をリリース。これ以降はライジング・フォース名義で活動していく。2008年、自らのレコードレーベル「ライジングフォースレコード」設立。