Love Lost In a Hail of Gun Fire

Kill to Believe

Fade Into The Ash

On Wings of Lead

Set Me Free

End Us

Love In Slow Motion

No Friends

Cold World

Darkness, a Feeling I Know

Line in the Sand

Death Anxiety

For Love and Failing

Dead Eyes

Sister Charlatan

No One From Nowhere

Remains

Life

Sweet Vampirous

Dead Like Me

Buried

Murder By Numbers

Goodbye to Death

Slave

Rise

Savior, Saint, Salvation,

Orange County Blonde and Blue

Declaration

Return to Sender

Number Seven With a Bullet

Mutilation

Anti-Hero

Final Hours

Trail of Seclusion

Dearly Demented

Germany

What I Bleed Without You

Reborn from Isolation

This Is Love, This Is Murderous

Confession

There Was a Flood

French Inquisition

City of the Condemned

Finnis Fatalis Spei

Faith in Fire

Declaration (You Can't Destroy What You Can Not Replace)

Bleeding Through

13 rooms
1999年、カリフォルニアはオレンジ・カウンティにて結成。今やハードコアの一大産地として知られるこの地は多くのハードコア・バンドが活動しており、その中でも頭一つ飛び抜けた存在感を持っていたバンド、エイティーン・ヴィジョンズのギタリストとして活動していたブランダン・シェパティと、同じくベーシストとして活動していたハヴィエル・ヴァン・ハス、そして昔からの仲間であったスコット・ダノーの3人が中心となり、同郷のハードコア・バンドTAKENのメンバーと一緒に活動をし始める。結成当時はバンド名をブレイクネックと名乗り、一度ギグも行うのだが、音楽性の違いによりたった一度でこのバンドは解散、残ったメンバーは「このオレンジ・カウンティには普通のハードコアじゃない、何か別のヘヴィ・バンドが必要だ」という意識のもと、ハードコアの要素を保ちつつもよりメタル色を濃くさせた楽曲を書き始め、そのサウンドをバンドとして鳴らしていくため、再度メンバーを集めていき、ブリーディング・スルーなるバンドが形作られていく。同年夏、ブリーディング・スルーはブランダンも所属しているエイティーン・ヴィジョンズとのギグに参加、当時としてはかなりの異色なサウンドをプレイしていたのだが、そのパフォーマンスは観客から絶大な声援を受け、自分達の進む道がはっきりと見えた彼らは、更に独自のサウンドを体現すべくキーボード・プレイヤーを新たに迎え入れ、最終的に6人のラインナップとなる。地元及びカリフォルニア州を中心にギグを重ねつつ楽曲も書き溜めていった彼らは、2001年に初のフル・アルバム『DUST TO ASHES』(日本盤未発売)をインディのPrime Directive Recordsより発表、この音源が彼らの名を全米に広める事となる。それまではあくまでサイド・プロジェクト的バンドであったため、地元周辺のみでギグを重ねていたのだが、エイティーン・ヴィジョンズやスロウダウンといった同郷出身で当時既に全米規模で活動していたバンドらと一緒に全米をサーキットし始め、次第に完全なバンドとして活動していく事を決心する。そこで、バンドとして2枚目となるアルバム『PORTRAIT OF GODDESS』(日本盤未発売)をIndecision Recordsより2002年夏に発表、今作をフォロー・アップすべく、バンドにとって初となる7ヶ月にも及ぶ全米ツアーを敢行、各地で絶大な支持を得るようになる。その直後、エイティーン・ヴィジョンズとブリーディング・スルーという二つのバンドで活動していたブランダンは、ブリーディング・スルーでの活動に専念するためにエイティーン・ヴィジョンズを脱退、何度かメンバー・チェンジを繰り返すもこの時期にはバンドのラインナップも現ラインナップに固まり、時期同じくしてTRUSTKILL RECORDSとの契約を獲得、翌年2003年にバンドとしては3枚目であり、TRUSTKILLデビュー作となるアルバム『ディス・イズ・ラヴ、ディス・イズ・マーダラス』(日本発売は2005年4月)を発表する。前回のツアーで各地に熱狂的なファンを作り上げた彼らが放ったこの作品は、アンダーグラウンド・シーンから絶大な支持を持って迎えられ、発表直後AFIと共に全米をサーキット、 SPIN誌では「観ておくべきアーティスト」に選ばれたり、CNNなどにも取り上げられるなど、その人気は凄まじいものとなっていった。バンドはその後活動の基盤を更に大きな場所へと広げていき、まず翌年2004年夏にはOZZFESTに出演、2005年にはSTRHESS TOURのヘッドラインとして全米をサーキット、また一大パンク・フェスであるWARPED TOUR ‘05にも出演、異色なバンドであったにもかかわらずその圧倒的なパフォーマンスで大喝采を浴びている。6月には初の来日公演も行った。その2005年のツアーの合間にレコーディングを続け、いよいよ新たな次元へとバンドを押し上げた4作目、『ザ・トゥルース』を完成させ、2006年2月に発売。KERRANG!誌やMETAL HAMMER誌から「最も期待の出来るアルバム/アーティスト」に選ばれるなど発売前から話題沸騰となった今作は、全米ビルボード・チャート48位を、トップ・インディペンデント・アルバムでは堂々1位を獲得し、その絶大な人気を見せ付けてくれた。その後もバンドはエヴリ・タイム・アイ・ダイらを引き連れてのUSヘッドライン・ツアーや、イギリスのDOWNLOAD FESTIVALへの出演、OZZFEST 2006への全公演参戦、翌07年4月にオリジナル・メンバーであったスコット・ダノーがバンドを脱退してしまうが、すぐさまバンドはアイ・キルド・ザ・プロム・クイーンのジョナ・ウェインホーヴェンを後任ギタリストに迎え入れ、ヨーロッパのヘッドライン・ツアー、スレイヤーやマリリン・マンソンとのUSツアー、HIMとのUSツアーと精力的にツアーをこなし、その人気を絶大なものへと推し進めていく。また、2007年にはIndependence-D出演のため2度目の来日も果たしている。2008 年に入るとバンドは次なる作品のレコーディングにとりかかるのだが、US所属レーベルとのいざこざによりしばらくアルバム発売を見送るも、9月には5作目となるアルバム『DECLARATION』(日本盤未発売)を発表、ビルボード・チャート104位を記録するなど、その根強い人気を見せ付けてくれた。その後もバンドはブレット・フォー・マイ・ヴァレンタインとのツアーやラクーナ・コイルとのヨーロッパ・ツアー、09年に入りダーケスト・アワーとのダブル・ヘッドライン・ツアーや自らのUSヘッドライン・ツアーと絶え間ないツアーを続けていくが、同年5月にジョナが脱退、バンドは元ユーズ・フォー・ア・ネイムのデイヴ・ナシーを新たなギタリストとして迎え入れ、活動を続けていく。09年7月、バンドは新たに北米のテリトリーでRise Recordsと契約を交わし、まず8月にはバンド結成10周年を記念したイベントを地元で開催した後、新たなスタートとなる新作のレコーディングに突入。2010年1月には北米以外のテリトリーで新たにRoadrunner Recordsとの契約を交わし、いよいよ自らのバンド名をタイトルに関した最新作『ブリーディング・スルー』が2010年4月、全世界に放たれる…。